2012年10月に、韓国の「沙也加」=紀州の雑賀孫市の長男・孫市郎説で「町おこし活動」を行っているある人物(T氏)のことを、このブログで採り上げたところ、喧々諤々根拠に乏しい説を採り上げたと非難を浴びたが、過去の歴史にはいろんな説があっても不思議では無く、現に地元作家・神坂次郎氏はこの説を唱え、和歌浦東照宮に碑まで建立した次第。
それに秀吉の朝鮮侵攻のときに拉致され薩摩に連れて来られた陶工の末裔第14代沈寿官氏も神坂説に賛成している。
このように、ある人が行っていることを単に紹介しただけなのに、その云われ方に怒りさえ憶えたが、現実こういうこともあるんだと云うことで興味もありニュース性もあるので、再び非難を浴びることを承知で採り上げることにしたので、ご覧下さい。
・このブログで過去に掲載したハナシ!
・2012・10・21:「沙也加」(韓国)=「雑賀衆」による町おこし活動 http://o-shige3.blogspot.jp/2012/10/blog-post_21.html
・(続)「沙也加」余話:地元作家・神坂次郎氏の講話より
今回のハナシ!!!
・歌声重ね、日韓交流 武将「沙也可」の縁が和歌山で花開く♪♪♪
演 奏会に向け練習にも熱が入る男声合唱団「ほえーる」の団員ら=和歌山市秋葉町
和歌山市を拠点に活動する男声合唱団「ほえーる」が今日19日に県民文化会館(同市小松原通1丁目)で開く第10回の定期演奏会に、韓国・大邱(テグ)市の「アボジ(お父さん)合唱団」が初めて出演する。
約420年前、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、朝鮮側へ投降したとされる武将が結んだ「縁」で、実現した。歴史問題などで日韓関係が冷え込む中、歌声を通した草の根の交流が深まっている。
「ほえーる」は1997年、県庁の合唱団を母体に設立された男性だけの合唱団。団員は43人で、平均年齢は60歳を超える。週1回の練習を欠かさず、定期演奏会のほか、県内や関西地方の合唱祭などで歌声を披露してきた。
大邱市のアボジ合唱団との交流は昨年2月に始まった。同市には豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際、朝鮮側に投降した武将「沙也可(さやか)」が移り住んだとされる。沙也可は紀州鉄砲集団・雑賀衆の頭領・雑賀孫市の嫡男(ちゃくなん)・孫市郎とする説もあり、その縁からほえーるの団員がこの地を訪れ、アボジ合唱団の団員と合同で演奏会を開いたのが今回の来日のきっかけとなった。「雑賀衆・沙也可で街おこしの会」の会長も務める団員の辻健さん(69)は「懇親会で、ほえーるの演奏会への出演を持ちかけたところ快諾を得られた」と話す。
19日の演奏会には韓国からアボジ合唱団の団員24人が来日。「ほえーる」の団員とクラシックや唱歌などを韓国語や日本語で歌い、自慢の歌声を披露する。「ほえーる」の団長を務める中村協二さん(71)は「10回目となる節目の演奏会に、韓国の友人を招くことができてうれしい。韓国語の発音は難しいが、団員みんなが練習に励んでいる。歌を通して両国の交流を深めていきたい」と話す。
開演は午後2時(開場は午後1時半)。入場料は500円。問い合わせは県民文化会館(073・436・1331)へ。
PS:
:この記事をご覧になり「沙也加」についてご関心をもたれた方は、わたしのブログ2012.10.21/22のカキコも併せてご覧になることを、お奨めします。
約420年前、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、朝鮮側へ投降したとされる武将が結んだ「縁」で、実現した。歴史問題などで日韓関係が冷え込む中、歌声を通した草の根の交流が深まっている。
「ほえーる」は1997年、県庁の合唱団を母体に設立された男性だけの合唱団。団員は43人で、平均年齢は60歳を超える。週1回の練習を欠かさず、定期演奏会のほか、県内や関西地方の合唱祭などで歌声を披露してきた。
大邱市のアボジ合唱団との交流は昨年2月に始まった。同市には豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際、朝鮮側に投降した武将「沙也可(さやか)」が移り住んだとされる。沙也可は紀州鉄砲集団・雑賀衆の頭領・雑賀孫市の嫡男(ちゃくなん)・孫市郎とする説もあり、その縁からほえーるの団員がこの地を訪れ、アボジ合唱団の団員と合同で演奏会を開いたのが今回の来日のきっかけとなった。「雑賀衆・沙也可で街おこしの会」の会長も務める団員の辻健さん(69)は「懇親会で、ほえーるの演奏会への出演を持ちかけたところ快諾を得られた」と話す。
19日の演奏会には韓国からアボジ合唱団の団員24人が来日。「ほえーる」の団員とクラシックや唱歌などを韓国語や日本語で歌い、自慢の歌声を披露する。「ほえーる」の団長を務める中村協二さん(71)は「10回目となる節目の演奏会に、韓国の友人を招くことができてうれしい。韓国語の発音は難しいが、団員みんなが練習に励んでいる。歌を通して両国の交流を深めていきたい」と話す。
開演は午後2時(開場は午後1時半)。入場料は500円。問い合わせは県民文化会館(073・436・1331)へ。
PS:
:この記事をご覧になり「沙也加」についてご関心をもたれた方は、わたしのブログ2012.10.21/22のカキコも併せてご覧になることを、お奨めします。
こんばんは♪やっと伺いました。
返信削除和歌山は、徐福伝説あり、この沙也加伝説あり、国際色豊かな地ですね。
中国からの渡来について、南方系の人々の渡来は、和歌山あたりにその到着点を考えると平仄が合うのかもしれませんね。
関東寄りの地域に住むと、盲点になるもの・ことが沢山ありますね。しげやんさんのご啓発をお待ちしております。
EYASUKOさん
返信削除飛鳥時代の古代豪族に紀氏がある。紀伊国・紀氏の古墳群と云
われているのが、大小数百にも及ぶ古墳群・岩橋古墳群で「紀
伊風土記の丘」という公園になっている。紀州は海に面し古来
以前から大陸や南方との交流があったことが考えられ、現に古
来朝鮮のものと思しき馬の顔に着ける甲冑が出土しているが、
全国でも唯一もものであり、古事記や日本酒記によれば古代
中国との関わりで,しばしば紀氏の名が登場するのは海上交通
に優れた氏族だった思われる。南方系との交流も当然あったで
あろう。新宮の徐福伝説はその一例だろうと思う。
ところで、熊野地方の三大氏の名に熊野三党(榎本、丸子⇒宇井、穂積⇒鈴木)のひとつ、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)
の末裔、先祖に高倉下命。 熊野三党のシンボルは、三本足の
カラスである八咫烏。こうしてみるとEYASUKOさんの夫君の
姓の榎本は元々は熊野が源流では無かろうかと考える!
古代史は面白い!文献は無いし、不分明でおどろおどろした
分かるようで分からぬことが、また面白い!