鏡山・右へ廻った処に玉津島神社入り口がある |
国名勝「和歌浦」全体案内板 案内板の説明拡大 |
萬葉のふるさと・玉津島 |
料理旅館・芦辺屋・朝日屋跡案内板 |
芦辺屋(左)朝日屋(右)古図 |
芦辺屋(左)朝日屋(右)古写真 |
「和歌浦」古図 |
鏡山より妹背山を望む・画・雑賀紀光 |
塩竃神社(左)中央に石碑が見える |
塩竃神社図・画 野呂介石(紀州藩絵師) |
塩竃神社古写真 |
「鏡山」案内板 |
奠供山(玉津島神社奥・聖武天皇登山) |
望海楼跡案内板 |
奠供山(右)の麓に望海楼があった |
望海楼とエレベーター(夏目漱石が利用した) |
望海楼エレベーター(拡大) |
奠供山と望海楼エレベーター |
「和歌浦」屏風絵 |
案内板には解説だけでなく、『紀伊国名所図会』の絵や、古写真を盛り込んだ。奠供山には明治時代に東洋一とうたわれたエレベーターがあったこと、芦辺屋には南方熊楠が孫文と1901年にここで親交を温めたことを記している。望海楼跡には1910年文豪夏目漱石が宿泊し、その西隣に設置された当時東洋一のエレベーターの漱石が乗り、奠供山から遠く紀三井寺を臨んだことなど記されている。これらのことは漱石『行人』に記されている。
このように「和歌浦」は文人・墨客がしばしば訪れた景勝の地で、江戸時代には俳聖松尾芭蕉がこの地を訪れ、ここから紀三井寺に詣で両所で句を詠んでいる。
万葉集で和歌浦を詠んだ歌は、2010・8・5「和歌浦」が国の名勝に指定されたときに、8・11~20にわたって、都合4回紹介しているので、今回は松尾芭蕉が春を追って、高野山を経て和歌浦に駆け付け、さらに紀三井寺まで舟で渡ったが、紀三井寺の桜はすでに散り果ててしまっていて、
紀三井寺の桜のおり紹介したように、
”見上ぐれば 桜しまうて 紀三井寺”
(早足で北へ行く春にやっと和歌の浦にて追い付いた気分だ)
という句を詠んだ。南国紀州の春は、はやかったのだろうか?
松尾芭蕉の”行く春や”の句碑 |
山部赤人が詠める「和歌の浦に 潮満ち来れば 潟を波」の歌碑 |
奠供山からの展望 |
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