和歌浦を訪ねて「妹背山」を見てまわる!
鏡山から臨む「妹背山」 |
妹背山「多宝塔」 |
歴史的名車・クラシックカーイベントの飛び込みがあったので、途中中断したが、和歌浦の案内を再開し、今回は万葉集にも詠まれ、紀州徳川藩とも所縁が深い「妹背山」「多宝塔」「観海閣」とこの度復元された「経文堂」等を紹介しよう。
・「妹背山」
玉津島神社のすぐ東隣にある三断橋を渡ると、万葉集に出てくる「妹背山」があります。
この「妹背山」は、和歌浦にある船頭山、妙見山、雲蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山のなかで唯一小島として残っている山であり、当時の面影が偲ばれる場所です。
周囲僅かに260m、高さ15mの小山から成る
小島です。この「妹背山」はこれに加えて紀州徳川藩と深い繋がりで結ばれています。
古妹背山図 |
8代将軍・吉宗の曽祖母にもあたる。
日蓮宗に帰依していた養珠院は家康の三十三回忌供養のために、石に「南無妙法蓮華経」と書いた経石を多宝塔下の石室の納めた。
これに後水尾上皇をはじめ庶民ら多くの人が賛同して15万個もの経石が納められていた(今は20万個ともいう)。
妹背山・三断橋・多宝塔・観海閣案内板 玉津島神社前の道路から妹背山に架かる石橋は三断橋と呼ばれ、県下では最古の石橋で中国の西湖の六橋を模して造られたと云われ、橋の表面に填められた青石は美しい景観を添えている。 |
三断橋表面の石貼り |
新たに設置された「妹背山と三断橋」案内板 |
妹背山多宝塔と観海閣(紀三井寺側から臨む) |
観海閣(第二室戸台風で流出し今はコンクリート造り) |
多宝塔(経文石を納めている) |
経文石 |
観海閣に対面している紀三井寺や名草山が静かな海面に映る眺めに頼宣も満足したであろう。
また観海閣から和歌浦に沈む夕日、和歌浦の海の上に輝く月の眺めは、和歌浦ならではの風情と言える。
・経王堂(2011.08再建)
妹背山には、「南無妙法蓮華経」の題目を刻んだ題目碑が二つあります。
一つは海禅院多宝塔内、もう一つは三断橋を渡ってすぐ右手にあります。
二つ目の方は梵文題目碑と呼ばれています。「南無妙法蓮華経」の梵字(サンスクリット語)での読みを漢字で表し「嚢謨薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」と刻まれています。
江戸時代、徳川頼宣公により、海禅院多宝塔と同時期に建立されました。双石碑(二つの題目碑)を境内に安置すると、威光が倍に増して国家を安泰にするという教えがあります。
建立当時は梵文題目碑もお堂(経王堂)の中にありましたが、明治以降経王堂が失われ、題目碑は風雨にさらされることになりました。下部の風化が進んだので、経王堂の再建に向けて妹背山護持顕彰会が中心になり、市民に働きかけて実現しました。
平成23年(2011年)8月28日に完成、開眼式が行われました。
一つは海禅院多宝塔内、もう一つは三断橋を渡ってすぐ右手にあります。
二つ目の方は梵文題目碑と呼ばれています。「南無妙法蓮華経」の梵字(サンスクリット語)での読みを漢字で表し「嚢謨薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」と刻まれています。
江戸時代、徳川頼宣公により、海禅院多宝塔と同時期に建立されました。双石碑(二つの題目碑)を境内に安置すると、威光が倍に増して国家を安泰にするという教えがあります。
題目碑 |
題目碑を収めた経文堂 |
2011.8再興された「経文堂」 |
平成23年(2011年)8月28日に完成、開眼式が行われました。
また、妹背山の海禅院の院主が主催する市民団体「妹背山護持顕彰会」があり、徳川期の旧館復興への篤い思い入れと、今に生きる地元和歌浦の文化発展に積極的な活動を展開しています。
その一つの例が上に揚げた「経王堂」が復興建築があり、眩い輝きを妹背山に灯しています。
遠く万葉の昔から多くの歌に詠まれ、多くの人に愛されてきた和歌の浦。
和歌山に生れ育ち、和歌山に暮らす人なら、誰もが一度は遊んだ思い出の場所、そして、和歌山を訪れる人には必ず感銘を与えずにはおかない場所、それが私たちの和歌の浦−。
妹背山(いもせやま)は、そんな和歌の浦の一角、玉津島神社の前に在る島山の名称です。
この妹背の地、和歌の浦の海には、遠く万葉の昔からの歌人の思い、数十万の石にそれぞれの願いを込めた、人々の思い、時代時代に埋れて逝った名も知れぬ人々の思い、そして、今、この時代を生きる私達の思いまでもが、刻み、刻まれているのです−。
「妹背ふたたび・・・」
『妹背山護持顕彰会』 は http://imosefutatabi.net/ この言葉を胸に、 1.和歌浦妹背山の旧観(徳川期伽藍)復興 2.和歌浦妹背山の護持運営 3.和歌浦妹背山を基点とした文化交流、親睦和融 4.地元和歌浦、和歌山の文化発展に、一歩一歩着実に、そして地道に取り組んで参ります。 |
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「ニュース和歌山」2007.10.27号によれば
「徳川遺産」妹背山に想う
養珠院の願い 未来へ |
妹背山・海禅院 |
多宝塔 |
和歌の浦に浮かぶ妹背山の海禅院多宝塔(写真)には紀州徳川初代藩主、頼宣の母の養珠院が庶民とともに人々の平和と幸福を祈った願いがこもる。この妹背山から和歌山の文化を発信しようと「妹背山護持顕彰会」は多宝塔内に埋められていた経石調査をふまえ、徳川期伽藍の復興を計画する。
戦後は和歌山市指定文化財となりながら注目を浴びてこなかった海禅院だが、同会の活動に伴い、文化財とし再評価が始まり、国の指定史跡となる可能性も出てきた。同会の松本惠昌会長は「和歌山を愛する心を育てる場として未来につなげたい」と意気込んでいる。
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