11月3~4日は秋の好天に恵まれ、恒例の「紀州漆器まつり」は従来になく賑わった。
というのも[黒江の町並み景観づくり」協定が県の第1号認定され、また「黒江の町」応援ソング「黒江からころ為の女」お披露目があったばかり、そういうことで今年は古くて新しい「黒江」での「紀州漆器まつり」元年とも云える催しであった。
これと時を同じくして「漆器まつり」会場からほど近い古刹「天王山 淨国寺」で地元出身の日展漆芸家・橋爪靖雄氏が4年かけて完成させた本堂天井の「蒔絵入り天井画」が完成、「紀州漆器まつり」開催に合わせて一般公開。
このことは3日地元「ニュース和歌山」紙で大きく掲載されたことも手伝ってか、大勢の見物客が三々五々と詰めかける盛況ぶりであったが、誰もがウットリと静かに見上げる様であった。
淨国寺本堂と枯山水の庭園 |
そして同寺のすぐ下にある橋爪氏の「漆工房」で、ご夫妻とお嬢さんの3人展も同時開催され、また同時に「蒔絵体験教室」も時間を区切って開催されていたので、今年は見どころが、さらに一つ増えたという感じ。
淨国寺の庭園は県下でも名高い室町時代の「枯山水の庭園」、天井画を鑑賞したあと縁側から望む「枯山水の庭園」は荘厳な天井画と相俟って心を落ち着かせ安らぎを与えてくれる。 そういうことで普段は静かな境内は、この日ばかりは大勢の見物客で賑わいを見せたが、来られた方はそれぞれに静かで落ち着いた佇まいであった。
※「天王山・淨国寺」(旧・黒江坊舎)寺歴
・永正8(1507)年 黒江橘尾山の黒江坊舎が建立、本願寺実如上人の時、本願寺より「方便法身像」と室如上人直筆の「九字十字名号」が下付される
・天文13(1544)年 黒江天王山の現地に寺基が移される 別院格として留守を置き寺務を執らしめていた
・天文19(1550)年 和歌浦弥勒寺山に移転、この年4月、証如上人黒江に下向、そのとき「高祖十字名号」「三具足」を下付さる
・永禄6(1562)年 和歌山鷺の森に移される 現在の「鷺の森別院」
これより、明治6(1873)年まで、黒江坊舎の跡に御坊として寛永6(1629)年方九間の本堂を建立、附近16ヶ寺を以て其の力として維持してきた。
昭和8(1933)年5月、本堂方十一間を起工、11月上棟したのが現在の堂宇で、境内南北五十間、東西四十間・本堂・太子堂・太鼓堂・庫裏・客殿・門等の建物がある。
【淨国寺庭園】
天文19年4月8日本願寺十世証如上人が黒江坊舎に下向にあたり証如上人お手造りの庭園として伝えられ、室町頃の古い型式をもった枯山水の庭園であり、
【親鸞聖人画像】 天正11(15823)年、7月本願寺が鷺の森から大坂貝塚に移転したとき、顕如上人から下付されたものである。
浄国寺は浄土真宗の古刹で、室町時代に造られたとされる「枯山水庭園」は、和歌山県下にある庭園の中で一番古いとされてます。この庭園は公開されておらず、特別公開の日のみ開園されます。境内には樹齢600年と推定されるクスノキがあります。
樹齢600年とされる「大楠」 |
淨国寺山門 |
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「ニュース和歌山」2012.11.03号から
◎橋爪 靖雄)はしづめ やすお)氏
・昭和10年 1月 海南市に生まれる
・昭和33年 4月 上京 漆芸家佐治賢使先生に師事
・昭和37年 1月 帰郷 漆工芸品制作に入る ・同年 11月 第5回日展 初入選
・昭和55年 1月 昭和54年度 和歌山県文化奨励賞受賞 ・昭和59年 11月 第16回日展 特選受賞
・昭和60年 11月 第17回日展 無鑑査出品
・平成 4年 11月 文化庁地域文化功労者表彰
・平成 7年 5月 第5回日工会展 飾棚「調べ」 日工会会長賞受賞 ・日展入選23回 ・日展会友 ・日工会会員・創工会会員
◎橋爪靖雄氏とわたしは、小・中・高校の同級生で、かれこれ70年来の友人です。外出するときはいつもカメラを携え、野に咲く名もなき草花や風景などカメラに収めていました。これらが、彼の作品に活かされるのでしょう!この点では、佐賀・有田の先代の柿右衛門が絶えずスケッチブックを携え、野に咲く草花等を描いたと聞いたことがありますが、これと同じなんでしょう!
若い頃は同級生が数人集まり、麻雀をしたり酒を飲んだり四方山話や当時流行った高忠実度(ハイ・フィデリティー)音響装置制作等音の響きを競ったりに時を忘れて没頭、彼もほとんどの時一緒でした。
彼のお父さんも漆器の蒔絵を描かれる県下でも有名な伝統工芸士で、その血を受け継いだのでしょう! わたしにはない「創(クリエイト)」をもった得がたい友人の一人です。
わたしにない才能【創】を有する友達には敬意を表して長くお付き合いしたいものです。
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