ことしも10月に入りました。3.11の「想定外」の震災からはや半年+20日、今年1年を現す流行語は、おそらく「想定外」だろうが、これまた紀伊半島(熊野・十津川)を襲った「想定外」の豪雨による山津波と洪水が、それにより「想定外」いや「想定内」とも思われる事件がこのほど引き起こした。これはおそらく「黒潮」がなせる仕業に相違ない。その事件を以下に採り上げる。
◆千葉県九十九里浜へ「八咫の火祭り」の看板が漂着
田辺市本宮町で毎年8月末に行われているイベント「八咫(やた)の火祭り」の実行委員会の看板が、千葉県の九十九里浜で見つかった。台風12号による水害で流され、黒に乗って漂流していたと見られ、同実行委員会では「どうやって行ったのかと思った」と驚いている。
発見者から同委員会に24日、写真を添付した確認の電子メールが届いた。看板は木製で縦1メートル、幅20メートル。大津荷地区の川に近い場所の倉庫に、ほかの道具と一緒に置いていた。7月中旬の台風6号の時も浸水被害があったが道具は無事で、きれいに洗って8月27日夜の祭りで使った後、しまってあった。メールを見た実行委員が倉庫を確認したところ、台風12号による川の大規模氾濫で扉が壊れ、中に置いてあった道具類の大半が流失していて、あらためて驚いたという。祭りのシンボルと言える、松明を燃やしながら運ぶ「炎のみこし」は、別の場所に置いてあるため無事だった。
同委員会に届いた電子メールによると、看板のほかにも家の柱の一部や多数の流木があった模様。中には根のついたままの樹齢30年ほどのスギが、皮のはがれた状態で流れ着いていた様子。
紀伊半島と房総半島は勝浦や白浜など同じ地名を持つほか、醤油(しょうゆ)の製法の伝承などで古来つながりが深い場所だが、看板なども黒潮に乗って流れ着いたと考えられる。同実行委員会では看板を送り返してもらえるように検討している。
和歌山・熊野本宮大社で毎年8月末に行われるイベント「八咫烏の火まつり」実行委員会の看板が台風12号の豪雨により倉庫からから流出、約500km北東の千葉県九十九里浜へ柱や流木とともに「八咫の火祭り」の看板が漂着、黒潮に乗って漂流していたと見られ、同実行委員会では「どうやって行ったのかと思った」と驚いている。
発見者から同委員会に24日、写真を添付した確認の電子メールが届いた。看板は木製で縦1メートル、幅20メートル。大津荷地区の川に近い場所の倉庫に、ほかの道具と一緒に置いていた。7月中旬の台風6号の時も浸水被害があったが道具は無事で、きれいに洗って8月27日夜の祭りで使った後、しまってあった。メールを見た実行委員が倉庫を確認したところ、台風12号による川の大規模氾濫で扉が壊れ、中に置いてあった道具類の大半が流失していて、あらためて驚いたという。祭りのシンボルと言える、松明を燃やしながら運ぶ「炎のみこし」は、別の場所に置いてあるため無事だった。
同委員会に届いた電子メールによると、看板のほかにも家の柱の一部や多数の流木があった模様。中には根のついたままの樹齢30年ほどのスギが、皮のはがれた状態で流れ着いていた様子。
紀伊半島と房総半島は勝浦や白浜など同じ地名を持つほか、醤油(しょうゆ)の製法の伝承などで古来からつながりが深い場所だが、看板なども黒潮に乗って流れ着いたと考えられる。同実行委員会では看板を送り返してもらえるように検討している。
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「八咫の火祭り」 |
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八咫の火祭りシンボル・「八咫之助」&「八咫姫」 |
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九十九里浜に漂着した看板 |
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和歌山で国体が開催されたのは1971(昭和46)年のことだった。「黒潮国体」という名前が良かったせいもあり、大変盛り上がって、和歌山県人に自信と誇りをもたらしたイベントだった。その2年後国体は千葉県で開かれたが、千葉県関係者は当時「黒潮を和歌山に取られた」と切歯扼腕した末、仕方なく「わかしお国体」と名付けたのではないかと思う。実は昨年高知で開催された「よさこい国体」も、マスコットが「くろしおさん」だし、インターネットで「黒潮国体」を検索すると、高知国体関連のホームページがいくつも出てくることから考えると、当初は黒潮国体にしようと考え、前に和歌山でやっているのに気付いて慌てて変えたように想像できる。「黒潮国体」というネーミングは黒潮沿岸の県にとって大きなインパクトがあるようだ。
さて、千葉県と和歌山県は非常に共通点が多い。大都会に近いが、半島という地形のせいで主要な交通アクセスから取り残されていること、気候温暖で海の幸に恵まれていること、そして昔から「海の道」黒潮に乗った人々の交流があり、同じ地名がたくさん残っているのが面白い。有名なのは白浜(安房郡、西牟婁郡)と勝浦(勝浦市、那智勝浦町)だが、他にも田子(鋸南町、すさみ町)、野島(安房郡白浜町野島崎、御坊市)、めら(館山市布良、田辺市目良)などがある。沢口靖子の出世作となった85(昭和60)年のNHK朝のドラマ「澪つくし」は紀州湯浅から銚子に渡った醤油製造元の娘と漁師の恋がテーマだったが、千葉の醤油のルーツは紀州だし、「稲むらの火」で知られる第7代濱口儀兵衛(号?悟陵)はルーツは紀州湯浅で、漁業にも紀州の影響が大きい。というのも黒潮に漂流して流れ着いた先が房総で、そこに土着して漁法を伝えたことによる
黒潮によって結びついている千葉県と和歌山県の知事が和歌山市で「黒潮シンポジウム」を開催する。私も参加させていただくことになっており、楽しみにしている。
(大橋和歌山市長談)
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◎「黒潮」(ウイキペディアより引用)
◎黒潮(くろしお、)は、東シナ海を北上してトカラ海峡から太平洋に入り、日本の南岸に沿って流れ、千葉の房総半島沖を東に流れる海流である。日本近海を流れる代表的な暖流で、日本海流(にほんかいりゅう)とも呼ぶ。
貧栄養であるためプランクトンの生息数が少なく、透明度は高い。このため、海色は青黒色となり、これが黒潮の名前の由来となっている。南極環流やメキシコ湾流と並んで世界最大規模の海流である。
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「黒潮」と「親潮」の流れ説明図 |
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流路と性質・
黒潮は、赤道の北側を西向きに流れる北赤道海流に起源を持ち、これがフィリピン諸島の東で、北に向かった流れがコリオリの力の緯度変化の影響であるベータ効果を受けて強化される。その後、黒潮は台湾と石垣島の間を抜け、東シナ海の陸棚斜面上を流れ、九州の南西で方向を東向きに転じトカラ海峡を通って日本南岸に流れ込む。日本南岸を流れる黒潮は、日本沿岸の近くを流れる流路と、南に大きく蛇行する大蛇行流路と呼ばれる特徴的な流路をとることが知られている。日本南岸を通過してさらに東に流れ去ったものは黒潮続流と呼ばれる。東シナ海の黒潮の一部は枝分かれして対馬海峡を通って日本海に流入し対馬海流と呼ばれる。また黒潮は平均的には西から東に流れるが、黒潮本流の南側には反対方向に向かう流速0.3ノット程度の弱い流れが観測されており、これは黒潮再循環流と呼ばれる。
黒潮の幅は、日本近海では100km程度で、最大流速は最大で4ノット(約7.4km/h)にもなる。また、600-700mの深さでも1-2ノットになることも珍しくない。正確な流量の見積もりは困難であるが、概算で一秒間に2,000万-5,000万立方メートルの海水を運ぶとされている。表層(200m以浅)の海水温は夏季で30C近く、冬季でも20℃近くになることがある。高塩分であり冬季には34.8‰に達する(夏季は34‰以下)。溶存酸素量は5ml/l前後であり、栄養塩濃度は親潮系水に比べて1桁も少ない。
しげやん殿
返信削除熊野は当家の発祥の地なれば、ボランティアには仕事上なかなか参れませぬが、せめて宿泊致して経済的に貢献致そうと思うておりまする。
今年はやはり異常気象の影響が多いようで、黒潮がなんと瀬戸内海にまで進入致し異常な潮位が観測されておりまする!
我ら人類の力がいかに微々たるものかを、心底から思い知らされる今日この頃にござりまする><
ところで昨夜も書き込もうとしたのじゃが、コメントを書き込む事が出来ませなんだ...
モノノフ殿
返信削除それは失礼申した。このブログときどきそういうことが起きまする。REコメントを書き込んだのに何処かへ消え失せて
いる。そういうときはスパムに入ってしまっている。
実は貴殿のコメントも今朝スパムに入ってたのを見つけ解除
した次第で御座った。
「黒潮」のことを調べていて「親潮」の流れが気になった。
例の福島第2原発の高濃度の汚染水がどう言う流れで拡散
したのか、都合が悪いことは覆い隠す悪弊のため何を信用
していいのか不信が募るばかり。
お隣の中国を例に挙げれば、例の最新の超高速鉄道の事故
に続いて上海の新しい地下鉄の追突事故、中国は高度成長
で最新のハード・技術導入に熱心だが、それをコントロール
する人材・ソフトが伴わぬ。共産党独裁政府のため、自分の
悪いところは隠すか、弾圧する。こういう国で原発増設し
万が一事故を起こせば、福島以上の大事故になる。北朝鮮
において然り。日本の福島の事故を世界全体のコトとして
熱心に論議されて当然と考えるが、如何で御座ろうか?
それに拙者、キリスト・イスラム教に一神教はどうも付いて
ゆけぬ。むしろ自然を怖れ、自然を敬う多神教の方の肩を
もつ。その点梅原猛氏の考えに共感する部分が多い。
いくらか説教めいてご免被りまする。
※書き込みは名前欄を使用されれば確実です。
大連から無事に帰ってきました。
返信削除帰りの飛行機が、急な?軍事演習のせいで滑走路の上で2時間も待たされました。
さすが、中国です。
旅順で203高地やトーチカの址を見て感慨深いものがありました。
和歌山と千葉のご縁すごいですね!
megさん
返信削除大連、旅順と廻られましたか。203高地と旅順港は日露戦争
で陸海軍の最後の決戦場となった有名な場所で、おおいに
興味があります。12月にはNHKで司馬遼太郎「坂の上の雲」
第3部が放映されますが、秋山兄弟の活躍を中心に陸海軍の
決戦が放映されます。そうそうmegさんにはテレビはあまり
観られないか?旅行アンコールとして観てみられたら・・・
megさん
返信削除和歌山と千葉のこと書かれているのを見落としていました。
これは「黒潮」の潮流です。紀州で漁に出て漂流し行き着く
先は房総半島、おそらく古代からこういうことがあったのではと思います。前知事の堂本暁子氏ルーツは紀州です。
こうしてはるか昔を想像すればインドネシアやフィリッピン
そして中国、朝鮮半島などから潮の流れによってわが国に
辿り着いたことも容易に想像できます。
反対に風向きによって我が国から朝鮮半島や中国に渡海した
のも遣隋使、遣唐使からも察せられます。
「黒潮」の流れている県の間で「黒潮シンポジューム」が
開催されているんです。こうしてみると潮の流れは大いなる
恵の流れと言えそうです。