(この記事はニュース和歌山09.11.28「和歌浦の風景」から転載させて頂きました)
上の絵は、和歌浦の東照宮付近の約200年前の風景です。東照宮は、元和7年(1621)に徳川頼宣が父家康を祀るため権現山(標高60メートル)中腹に建立したもので、そこには壮麗・豪華な社殿七棟(重文)が建っています。石段下には別当寺(附属寺院)として創立された雲蓋院(うんがいいん)をはじめ、内六ヶ坊のうち和合院・宝蔵院・玉仙(泉)院・正法院がみえます。
和歌道(明光通)から市町前に出たところには、東照宮の境内を通らず対岸の出嶋に行けるように、入江を斜めに横切る新道(中道)が造られました。新道はまっすぐで、途中2か所に橋が架けられ、小舟が行き来できるようになっています。
また、東照宮の神域性を高めるため、和歌道と平行に堀川が掘削され、明暦3年(1657)には下馬橋が架けられました。橋の手前には松屋・竹屋の二軒の茶店がみえます。橋を渡った所には木戸が設置され、通行が制限されていたようです。
入江の対岸の片男男波砂州には、東照宮の例祭、和歌祭の御旅所(現=八の字公園付近)があり、松林に囲まれています。( 和歌山市教育委員会 額田雅裕)
(以上ニュース和歌山新聞より)
紀州・東照宮の108段の石段 |
東照宮楼門 |
楼門より本殿を臨む |
東照宮本殿 |
欄間の彫刻・左甚五郎作 |
欄間の彫刻・左甚五郎作 |
紀州東照宮由緒 |
建造物
・本殿・石の間・拝殿 1棟
・唐門
- 東西瑞垣 2棟
- 楼門
- 東西廻廊 2棟
- 美術工芸品
- 南蛮胴具足
- 紺地宝尽小紋小袖、藍地花菱唐草文散絞小袖、白地葵紋綾小袖
- 太刀 銘来国俊
- 太刀 銘信国
- 太刀 銘左近将監景依正応二十一月 日 附:絲巻太刀拵(いとまきたちごしらえ)
- 太刀 銘光忠 附:絲巻太刀拵
- 太刀 銘備前国(以下不明伝真長) 附:絲巻太刀拵
- 太刀 銘真長 附:絲巻太刀拵
- 太刀 銘守家 附:絲巻太刀拵
- 刀 銘元重
- 太刀 銘安綱 附:絲巻太刀拵
- 太刀 銘伯耆大原真守 附:絲巻太刀拵
- 太刀 銘国時
- 刀 銘信濃守藤原国広、国儔
- 刀 銘長曾根興里入道虎徹
和歌浦は、玉津島神社・天満宮・東照宮など古代から近世の史跡だけではなく、景観の優れた名勝であり、干潟の生物や奠供山・和歌浦干潟などの地形・地質の天然記念物としても優れているといわれています。史跡・名勝・天然記念物というすべてがそろっているのは、他にはない和歌浦の魅力であると思われます。
町場に近い場所で、どうしてこうした景観が守られてきたかといえば、家康を祀る東照宮の境内ということもありますし、初代藩主の徳川頼宣の言行録『大君言行録』によると、頼宣は、歌枕・名勝地を開発しては末代までの笑いものになるとして、和歌浦の開発を戒め、景観の保全を命じた記述があります。紀州藩は和歌浦の開発を許可してこなかった経緯があるのです。
元和7年(1621)、頼宣が南海道(なんかいどう)の総鎮護(そうちんご)として創建された社殿は、「関西の日光」とも呼ばれ、権現(ごんげん)造りとなっています。
また、江戸初期の代表的な重要文化財建造物としても有名です。
漆塗・極彩色の精巧な彫刻、狩野(かのう)・土佐両派の絵による豪華さに目を奪われ、特に左甚五郎(ひだりじんごろう)作の彫刻や狩野探幽(かのうたんゆう)作のふすま絵は必見です。
鮮やかな色彩を目のあたりにすると、当時の時代が壮麗な絵巻物となって浮かんできます(和歌山市観光協会の案内文より)
(つづく)
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