(以下はニュース和歌山・09.11.14「和歌浦の風景」より)
上の絵は、和歌浦の妹背山から三断橋、鏡山の先端部付近を南側から俯瞰した約200年前の風景です。
妹背山の東端には観海閣が建ち、その背後には整地された多宝塔の敷地がみえます。そこには慶安2年(1649)に徳川家康33回忌の追善供養のため、妹背山の岩盤を穿って、後水尾(ごみずのお)天皇が書いた経石を奉納しました。その上に最初は小堂を建てました。が、承応2年(1656)に初代藩主頼宣は母お万の方の菩提を弔うため、小堂を多宝塔に建て替え、妹背山を整備しました。
左端にみえる「輿窟」(こしのいわや)は、現在の塩釜神社で、高野山ふもとの天野(伊都郡かつらぎ町)の丹生都比売が玉津島への浜降(はまくだり)神事を行なった際の御旅所といわれます。中央の三断橋は、頼宣による妹背山周辺整備の一環として妹背山と玉津島を結ぶため、慶安4年(1651)ごろに架けられたものと思われます。その西詰には右に「朝日や」、左に「あしべや」と2軒の茶屋があり、橋のたもとには2艘の舟がえがかれています。ここから紀三井寺へ巡礼の人たちを乗せた舟が出ていたのでしょう。( 和歌山市教育委員会 額田雅裕) (以下ニュース和歌山より)
妹背山多宝塔 |
海禅院多宝塔 |
多宝塔由緒 |
(つづく)
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