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2011年9月15日木曜日

「和歌浦の風景」その1.高松界隈

和歌山城追廻門から徳川家の始祖・徳川家康公を祀る「紀州・東照宮」まで約一里(4Km)の和歌街道の半ばに「高松」というところがある。
今は東・西高松に地名が分かれているが、200年昔に「紀伊国名所図会」に街道の両側が松並木が続いていて、休憩所となる「高松茶屋」があり、長年の風雨で根元の砂が飛ばされた「根上がり松」の並木が連なる名所であった。

 今回は初めにこの「根上がり松」と繁盛する「高松茶屋」の風景からお目に掛けよう。
(以下ニュース和歌山・09.10.10&「和歌浦の風景」&11.6.4「和歌浦の風景」Ⅱより)

江戸時代後期に出版された『紀伊国名所図会』から和歌浦の風景を選んで彩色し、その風景を今回から10回にわたり読んでいきます。

上の絵は、和歌山城下町の南側、和歌浦の入口にあたる高松付近の約200年前の風景です。和歌浦は一般に愛宕山(秋葉山)以南の和歌川河口から出島(和歌浦南)付近までをさしますが、江戸時代の和歌村の村域には現在の高松交差点付近まで入っていました。

  和歌道(旧国道42号、高松バス停付近)の両側には、「鶴之松」「亀之松」「相引」などと名前が付けられた松が並んでいます。和歌道は、和歌山城の追廻門を出て小松原から和歌浦にいたる道です。根上り松は、根っこの砂が何百年も風で吹き飛ばされて露出したもので、その高さは3メートルにも及びました。松の木陰で一服する人、めずらしそうに眺める旅人や根っこの間を肩車して通る親子らの姿が見えます。

  高松の根上り松群は天然記念物に指定されていましたが、すべて枯れてしまいました。しかし、「鶴之松」の根は大正13年(1924)に玉津島神社境内へ移され、今も見ることができます。( 和歌山市教育委員会 額田雅裕)
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和歌道の休憩所・(1)高松茶屋
  和歌山城下から和歌道を南へ進み、堀止を経て城下町を出ると高松茶屋がありました。上の絵は、和歌浦の入口、高松茶屋の約200年前の風景です。
高松は、村名ではなく関戸村の小名(こな・小さな単位の地名)で、和歌道沿いの砂丘に高い松の木があったことに由来します。

  茶屋は3軒あり、絵図中央には亀のデザインの暖簾から亀屋、右が竹屋、左奥が松屋と思われます。暖簾の横の台には竹籠に入ったミカンが置かれています。     
縁台には旅人たちが腰かけ、楽しそうに談笑したり、赤ん坊に乳をふくませる母親の姿があります。40〜50年前までは人前でも授乳する光景を見ましたが、今では見られなくなりました。先を急ぐのでしょうか、店先に駕籠を止めて、中に座ったまま、お茶をいただく人もいます。

  天秤棒を担ぎ、和歌道を急ぐ3人は、鮮魚などを売り歩く、ふりうり(行商)です。縁台では大勢が煙草を吸って休憩していますが、キセルを片手に歩く人は煙草がきれたのでしょうか、右下の刻み煙草売りに声をかけ、うれしそうに近寄っています。
  左下には屋形がなく、四角いつるべ桶が置かれた石組みの井戸があり、そこへ茶屋の女性が水を汲みにきています。(以下ニュース和歌山より)
(次へつづく)

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