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2011年9月25日日曜日

「和歌浦の風景」その8.紀三井寺側から見た和歌浦

紀三井寺側から見た和歌浦湾パノラマ
紀三井寺の桜越に和歌浦を臨む
今回は紀三井寺側から見た和歌浦を紹介します
(以下ニュース和歌山11.4.9,11.4.23日「和歌浦の風景」Ⅱより)
和歌浦全景

                                                     絵馬楼 和歌浦眺望
上の絵は、約200年前に名草山西麓の紀三井寺から眺めた和歌浦の風景です。和歌浦を俯瞰(ふかん)した近世の絵図は、名草山・紀三井寺から見たものが最も多く、奠供山と並ぶ和歌浦の展望ポイントです。
絵馬楼は本堂の南西の部分で、ここからの眺めはさえぎるものがなく、和歌浦を一望することができます。建物内では、西国巡礼が笈摺(おいずり)を下ろしてキセルでタバコをのみ、艶やかな着物の女性が腰かけ、和歌浦の景色を満喫しています。
右奥には広大な屋敷地とその外側の塩浜が見えます。同屋敷は、紀州藩家老で伊勢田丸城代の久野丹波守(一万石)の下屋敷で、咏鶴(えいかく)楼などの建物や池・築山を配した池泉(ちせん)廻遊式庭園がありました。その半分は干潟の状態で、周囲は土堤で囲まれ、松が植えられていました。その堤跡は、和歌浦東二丁目を取り囲む道路として、今日も残っています。
左には片男波と布引の砂州・田浦・雑賀崎、中央には妹背山の多宝塔や観海閣・玉津嶋神社・天神・東照宮・妙見堂があり、雑賀山が半島のように海に突き出ています。背景には友が嶋・淡路嶋から四国の鳴門まで画かれ、帆船が紀伊水道を航行しています。(和歌山市教育委員会文化振興課  額田雅裕)(以上ニュース和歌山より)
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大正時代の和歌浦~紀三井寺渡し船

この「和歌浦の風景」もあと2回になりました。次回は徳川家康公・紀州徳川藩始祖徳川頼宣公(南龍公)の2柱を祀る紀州東照宮とその西となりに位置する天満宮を紹介します。東照宮の祭礼は「和歌祭」として広く知られ、全国から大勢の見物客で賑わいます。それを付録ということにして紹介しますので、最後までお楽しみ下さい。
(つづく)

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