尾藤公氏(68) |
この2月20日から、朝日新聞(和歌山版)で毎日曜日に『尾藤魂』の連載が始まり、いよいよこれから監督としての記事が掲載される筈であっただけに、亡くなられたあとも是非掲載を続けて欲しいモノだ。
「尾藤魂」 |
つぎの掲載を予定していたが、この訃報をうけて急遽予定を変更、ここに氏の生前の偉業を称え、その早い死を悼み冥福を祈りたい。
【箕島高野球部元監督、尾藤公さん死去 甲子園4度制覇】 (3月6日)
61回大会優勝インタービュー |
第61回全国高校野球選手権大会決勝で池田(徳島)を下して史上3度目の春夏連覇を達成し、インタビューを受ける箕島(和歌山)の尾藤公監督=1979年8月21日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場
優勝の胴上げされる尾藤監督 |
高校野球の監督として1979年の春夏連覇を含め、箕島高(和歌山)を4度の甲子園大会制覇に導いた尾藤公(びとう・ただし)さんが6日未明、膀胱(ぼうこう)がんのため、和歌山市の病院で死去した。68歳だった。
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【尾藤公(びとうただし】 有田市出身。箕島高での選手時代は捕手だった。近大中退後、銀行勤務を経て66年に23歳で同高監督に就任した。選抜大会では70、77、79年の3度優勝。79年には全国選手権も制し、史上3校目の春夏連覇を達成した。延長18回サヨナラ勝ちした星稜高(石川)との3回戦は、球史に残る名勝負として語り継がれている。95年夏に監督を退くまで甲子園に春8度、夏6度出場し、通算35勝(10敗)を挙げた。
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ベンチから温かく選手を見守り、力を引き出した笑顔は「尾藤スマイル」と呼ばれ、多くの指導者に影響を与えた。監督退任後は日本学生野球協会理事、日本高校野球連盟常任理事などを務め、高校野球の発展に力を注いできた。2007年から日本高野連技術・振興委員長。
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(高校野球史上記憶に残る名勝負(箕島・尾藤監督)再現)
「延長18回戦った箕島―星稜OB、甲子園で再戦」(2010年9月23日)
・星稜―箕島のOBによる再戦で、箕島元監督の尾藤公さん(前列右から4人目)を囲み、記念撮影がおこなわれた=23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、
前列中央の車イスに乗る尾藤元監督 |
試合後、握手を交わす箕島高と星稜高の野球部のOBたち=23日午後、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、
箕島-星陵OB戦 |
両校は79年8月16日の3回戦で対戦。箕島が延長で2度のリードを許しながらも本塁打で追いつき、18回にサヨナラ勝ちした。過去2回再戦したが、甲子園では初めて。延長18回を投げ抜いた箕島のエース石井毅さん(49)は「マウンドの雰囲気は昔と変わってない。あの時を思い出した」と話した。
OB戦で並んだ両チーム選手たち |
両校は今後も交流は続けるが、試合は今回が最後という。
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