弔問に訪れるファン |
ありし日の姿 |
なんと1面記事、12面に関係記事、31面に評伝、関係者の談話が掲載され、新聞全部の紙面32ページのうち約2ページ弱にわたって、同氏が高校野球界に対してに打ち込んできた姿勢が掲載されていた。
話が替わるが 世の中に「成功者」といわれる人が遺すものには、3つのタイプががある。といわれる。
その1は、「お金」を残すこと。いわゆる財産を残すことである。
その2は、「事業」を残すこと。会社の経営に無策であれば、3~40年前には「会社の寿命は30年」と云うことが話題になったが、いまや会社の寿命は5~10年にまで縮まってきている。
その3は、「人」を残すこと。わたしは、成功の最も頂点に位置するのは、この「人=人材ではなく人財」ではないかと考えている。
1と2の「金」や「事業」は、それを使う人次第で浪費や放蕩で消え失せ、悪弊を残すのが関の山だし、「事業」にしても事業展開に手を拱いておれば、会社の寿命は上に指摘したとおりである。
これが「人財」ということになれば、「温故創新」の視点で事業を革新しながら成長させることが大いに可能である。
ここに「人財」となる人を育て、残すのを最も高い評価をした理由がココにある。
「尾藤魂」 |
この観点で人間「尾藤公」を観察したとき、彼が生前中挙げた戦果如何よりも、どれだけ優秀な後輩を育て上げ、彼の信念が野球界にもどのような影響力をもたらしたかに甚だ興味が尽きない想いがする。
わたし自身、当時住金関連に身を置き、1979年箕島高校が春夏甲子園で連覇(甲子園史に永久に記録される箕島ー星稜戦があった)したときのバッテリ石井 毅ー嶋田宗彦が、翌年住金和歌山野球団に入団し、82年住金(和歌山)が、このバッテリーで都市対抗野球で見事優勝の栄冠を勝ちとり、のち投手の石井が西武へ、捕手の嶋田が阪神に入団したことを鮮明に記憶しているだけに、甲子園連続優勝を勝ちとったバッテリーには、大きな関心があったし、箕島尾藤監督の「尾藤スマイル」での采配振りにも、記憶が鮮明に残っているからに相違ない。
同氏が遺した考え方や氏の教えを受け育て上げた多くの選手たち、そしてこれからも長く語り継がれるであろう劇的な箕島-星陵戦を戦った関係者はもとより全国、県高校野球関係者、そして同じ和歌山で監督を務め、尾藤氏を師と仰ぐ智弁和歌山の高嶋監督など、これからも同氏について多くの賞賛やエピソードが語られることと思うが、いまは今朝の朝日・和歌山版に掲載されていた同氏の語録をを紹介それに留め、高校野球ファンの方は、より情報を収集して尾藤公氏の在りし日の思い出に浸って欲しい。
慎んで 尾藤公氏のご逝去を悼み 哀悼の意を表します 合掌
人を残すこと。わたしは、成功の最も頂点に位置するのは、この「人=人材ではなく人財
返信削除本当にそう思うます。
今年の高校野球を見て改めて素晴らしい方だったのだと思いました。
息子さんも人間味のあるいい人ですね。