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2011年3月2日水曜日

2日・「坂の上の雲」の秋山好古が泊まった「琴ノ浦温山荘園」(その2)

 きのうは冬期休園から再オープンした「琴ノ浦・温山荘園」の概略を書いたが、今回以降シリーズでもう少し詳しく書いてみたいと思う。
わたしの家は温山荘園造園後その北側に隣接して昭和の初期に埋め立てられた一角に、親父の代に温山荘園を借景にして建てた建物だが、いまは和歌山県立自然博物館が荘園の北西に開設され、借景の意味が大きく損なわれたが、それでも温山荘園の緑がもたらす恩恵は大きい。
正面入り口付近


国道から見た庭園入り口付近
  「紀州漆器で名高い産地の黒江はここから約800m東にある。

和歌山マリーナ方面から見た「温山荘園」
  温山荘園は創園者新田長次郎氏の死去後氏の遺志を継いで「財団法人・琴ノ浦温山荘園」を設立、運営にあたっているが、戦前にはすでに一般市民に無料で開放され、広く「新田の別荘」の名で親しまれ、現在の国道42号線を挟んで東側にも所有地があり、春は桜の花見で賑わったが、国道の拡幅、海南市民プール、和歌山県立自然博物館開設に伴う用地提供等で最大5万坪を誇った温山荘園もいまは約6万平方メートルとなったが、それでも用地提供部分を含めて緑に覆われた安らぎ憩いの場所を提供してくれている。

 この点、昔の財界人は偉いと思う。儲けた利益のかなりの部分を社会に還元し、教育のために学校を建てたり、美術館を開いたりと、わが国は重文クラスの美術品が一旦個人の手に入ると、一般者には見ることができない存在になることが多いのだが、新田長次郎氏の場合は、早くから自分の別荘を一般市民にも自由に使えるよう無料公開したのだから、やはり人物の度量が多きかっのだと思う。
自宅2階から左手に温山荘園を臨む

 そこで地元紙「わかやま新報」が昨年、「温山荘園」の庭園が2月、国指定名勝に更に6月、園内主要建造物が重要文化財に指定されるに及んで、連載記事にて同荘園のことを紹介したので、それを借用してこれからの話を進めて行きたい。


温山荘主屋を裏面から臨む



  新田 長次郎(にった ちょうじろう)・(1857~1936)
新田長次郎氏
工業用革ベルトの発明考案で産業の発展を支える
・ 工業用革ベルトの製造に成功
・ 海外の先進技術を導入し、製革事業の発展に取り組む
・ 製革で蓄積した技術をもとにゼラチンなど事業を多角化
【主な関連企業】ニッタ株式会社【出身地】愛媛県
 氏はこの画期的は発明により富国強兵を目指す軍部の革製品を一手に引き受ける御用達会社として、大きな飛躍発展をとげたが、その目は若者の教育など社会的貢献にも向けられ、松山高等商業学校創設等にも関わった。

2 件のコメント:

  1. しげやんさん
    お見舞いありがとうございました。
    やっと訪問できる余裕もでてきました。
    来てみたら、しげやんさんのお家からの景色を拝見できました♪
    すごい場所になあるんですね!
    都会のウサギ小屋暮らしにはうらやましい限りです。

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  2. しげやん07102011年3月4日 11:00

    megさん
    日頃より仲睦まじいメグさんご夫妻、この度のご主人さま
    の入院手術で、さらに一層お互いの信頼関係が深まったこと
    と思います。二人三脚を続けてお願いします。
    わたしも43歳にして頚椎手術という考えてもいなかった
    アクシデント以来、相手と同じ目線で考え、ものをいう姿勢
    に変わると同時に自己の深化へ向かいました。
    海沿いはいいんですが、冬場は西風が強く寒いし津波が襲ってきたら一溜まりもありません。地面の高いところへ逃げ出したいのが本音です。

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