明日は「彼岸明け」で春の訪れが遅い東北にも、ようやく春の兆しが訪れる頃かと想う。
東北に春の訪れといえば、三十四、五年前に大流行した千昌夫の「北国の春」を
想い出す。 約20年近く前の想い出になるが、JTB主催の「フルムーン夫婦・東北DX旅行」で四泊五日のゆっくり、ゆったり旅行を楽しんだ。
ときは初秋であったが、一足早く訪れる東北の秋を奥入瀬、蔵王等の紅葉が出迎えてくれたことは、手元のアルバムをみたら鮮明に蘇ってくる。
どの自然の風景、人情は素朴だが心がこもったあの東北人のもてなしに、言葉に言い表せない凄まじい惨状に、一瞬にして突き落とされた心境をお察しするとき、なんと言ってお慰みすればよいのか言葉が見当たらない。
わたし自身、過去津波、災害に何度か遭遇している。
終戦の年の翌昭和21年12月南海大震災で自宅が被災、二階へ届かんばかりの津波が一階部分の壁を全て突き破りなぎ倒し、家財道具共々押し流された。
また戦後は米国の女性の名前が付けられた大型台風で床上浸水を繰り返した。怒り狂った「山の神」は海にまで怒りを及ぼすほど怖いのか?
昭和28年7月には地元有田川が高野山付近の集中豪雨で大氾濫、植林された杉や檜が根こそぎ山津波で押し流され、これが家屋に突き当たり家屋を押し流し、これらが橋桁に引っかかってダム化となり、下流に行くほどこれらが拡大、有田ミカンで全国にその名を知られた「有田」地方が、有田川を挟んだ南北のミカン山まで大洪水に見舞われた。
そのとき、わたしは学校の夏期休暇の時期だったので、約2ヶ月に及ぶ休暇をいまでいうボランティアで泥掻き、復旧作業に従事した経験がある。
その後、就職で自宅を離れている間に、自宅は昭和34年伊勢湾台風、35年5月チリ津波、36年9月第二室戸台風と数度にわたり被災し、加えて南海大震災で地盤が沈下、家の前の堤防は昔ながらの青石の石垣堤防で、これをやすやす潮が乗り越え津波、高潮に被災となり、その都度堤防は順次補強かさ上げされ、今日に至っているが、地盤沈下はそのままで、現在わたしが住む地区の大半が、海抜0.5~1mと低地であり、現在の防波堤の高さは1.8m、近い将来発生の可能性が高いと言われている東南海・南海地震の津波の予想が3~5m、最も低いと予想される3mの津波でも容易に防波堤を乗り越えてくる。
この度の、東北太平洋沖大震災時の激震と津波が押し寄せれば、どんなに強固な家の造りをしていても、自然の脅威には一溜まりもない。
現在、過去数度の水害で被災した海南市西方の黒江湾(海南市を主にカバーし、われわれが住む和歌山市琴ノ浦地区も含まれる)の津波防災に国の予算が付き、在来の防波堤の補強・かさ上げと船舶の航路はわが国初めての非常時浮上式防波堤(津波・高潮を関知し、そのときは海底から浮上して津波・高潮を防ぐ)目下、工事が始まったばかりだが、総予算250億円、10年計画だとか、しかしながら今回の東北太平洋沖大震災で「日本一の防潮堤」「万里の長城」――。住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。岩手県宮古市田老地区にあった全国最大規模の津波防潮堤。だが、東日本大震災の未曽有の大津波にはなすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。「今後、どうやって津波を防いだらいいのか」。住民たちはぼうぜんとしている。といことを報道で知った。
この堤防を信じた人々は乗り越えてきた津波にあっという間に飲み込まれたとも聞く。それだけ想定外の激震、大津波だったとしか考えようがない。果たしてこんなモノが押し寄せてきたら、どうすればいいのか?頭が回らない。
(地元・海南市で計画・施工中の津波浸水対策事業)
それに、長年の地区住民に悲願である、住宅地近くの防波堤に不法係留されたプレジャーボート問題が未だに解決を見ていない。そこへ今回の大災害である。係留されたボートが巨大な凶器となって、住民、住宅を襲ってきた生々しい画像は街中に住む人たちにも、海岸近くに住む住民のことが起これば発生する恐怖をまざまざと身をもって感じとったことに違いない。危険と隣り合わせに住んでいる人々の恐怖を・・・!不法係留された、たかがプレジャーの道具に尊い命を奪われるようなことは、断じて許されようがない。行政の緊急課題であろう。
自宅前の入江に不法係留のプレジャーボート |
われわれの所に計画された防波堤は乗り越えの規模から見れば、せっかくの計画工事も、もう一度根本的に考え直す必要に迫られているとか、海岸線のながい地元和歌山県の海岸線防災を考えるとき、まさに気が遠くなる想いがするが、さりとて手をこまねいて、ため息ばかり漏らしているばかりではいけないだろう。
国として、政府としては何よりも被災地の復興が最優先であろうし、敗戦の壊滅的状況、地域を限って言えば広島・長崎の原爆被災、阪神大震災、中越地震等々過去に経験した災害から立ち直り、今日を迎えたわが日本国は、過去の教訓を教科書として全国民が固い「KIZUNA」でシッカリと団結のもとに、被災を免れたわれわれも被災された方々と同じ想いを共通の認識として、雄々しく立ち向かわれんことを希求する。この非常時に際して、政治の世界はただ一つ、被災地の復旧に向かって与野党を乗り越えた超党派で、幾多の困難を排除して明確で説得性がある政策を優先順位を明確にして全国民をリードするウルトラマンリーダーたる首相に生まれ変わらんことを期待する。
こんにちは♪
返信削除「琴の浦」の過去の被災状況も、すさまじいですねぇ。
今回の被災地を見ていて、主人が言うには、コンクリートの建物は意外に被害を受けていない。5階建てくらいの集合住宅をあちこちに建て、2階までは集会所や公民館とし、3階以上を住居兼(屋上を付近住民の)避難プラットフォームとしたら津波対策にならないだろうか、ということでした。
まずいのちを永らえる、ということからすると、堤防より安価かつ現状の被災者の役にも立ち、二重に効果的ではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。
EYASUKOさま
返信削除海南市は昭和時代に2回津波に被災しています。昭和21年の
南海大地震、35年のチリ津波で、市の中枢部が機能不全に
陥りました。40年代に入り市の西部の海を埋め立て、臨海
工業地帯ができ、関電海南火力発電所(発電機4基、210
万KW)住金が得意とするシームレスパイプ製造工場、そして
平成に入りさらに西に人工島を造成、マリーナシティーとして観光の場所になり現在に至っています。
海南市は過去の被災経験から防災に熱心で、東南海・南海
大震災が起こればその被害額数千億円と予想されていて、
市民の長年の夢がいよいよ着工されましたが、10年計画で
す。市は防災に熱心で毎年予算を計上し、地区、地区に
防災センターを建設しつつあります。普段は地区のコミニ
ティー・センター、非常時は避難箇所に使用しています。
ただ、わたしの家から一番近いモノでも1km強あるので
到底間に合いません。幸い60mの所に県立自然博物館が
あり、これに避難することにしています。
ただし、今回東北地方を襲ったような津波の高さでは、危
ないです。でたとこ勝負としか云えません。怖いです。