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2011年2月8日火曜日

9日・縄文の世界・新宮・神倉神社の「お燈祭り」

 わたしのブログのテーマとする「温故創新」の「温故」に因む古来からの伝統的なお祭りです。

 地元海南から季節先どり行事「紀州海南ひなめぐり」の第1部「紀州漆器の里・黒江」の「ひな」を紹介しましたが、きょうは一路南へ200kmをひとっ飛び、熊野は新宮の神倉神社の「火の祭・お燈祭り」を掲載します。

 このブログで、「熊野」のことについて、昨年12月15日から数回シリーズで書いてきましたが、「熊野古道」を逆に遡って大塔宮護良親王の「熊野落」の故事にからめて、切目王子から地元藤代王子まで逆順で戻ってきましたが、12月22日に即位前の神武天皇が熊野の地に上陸した「古事記」や「日本書紀」の説話になかで、「天磐盾(あまのいわだて)」と呼ばれる「神倉神社」と「お燈祭り」のことにも触れたが、それと重複するが、余りにも有名な「男の祭・火の祭」として古くから知られた祭であり、先週末の2月6日(日)に勇壮かつ厳粛に執り行われたので、この祭をさきにアップし、それから続いて宿題になっている「紀州海南ひなめぐり」第2、第3部ヘ進むことにいたしたくご了承下さい。

 われわれ紀州人とりわけ紀北人にとっては「熊野」は「異郷」であり、まさに「縄文」の世界でなのである。
 以下ご紹介する神倉神社の「お燈祭り」も、まさに縄文の世界の「火の祭」なのである。紀北「海南」の雅やかな「紀州海南ひなめぐり」から見れば、神倉神社の「お燈祭り」は男の世界、それも女人禁制で精進潔斎し白装束に腰には荒縄を2巻き、3巻した異様な扮装姿の男達が鎌倉時代の自然石の急峻な石段を松明を手に手に、一斉に駆け降るさまは、まさにお燈まつりは「男のまつり、山は火の滝くだり竜」と称される「火の奇祭」であろうか!
神倉神社の御神体「ゴトビキ岩」
夕暮れ時の「神倉神社」

神倉神社参詣道
 わたしは熊野那智大社の那智の「火祭り」を見物したことがあるが、夏のこの祭に対して神倉神社「お燈祭り」は厳寒の冬に行われる。以下神倉神社と「お燈祭り」を、もう少し詳しく見てみることにする。
「お燈祭り」案内(和歌山県無形民俗文化財)
   われわれの祖先は古代から大きな岩、滝、木などの自然物には神が宿っているとして崇拝して来た。日本書紀に「天磐盾(あまのいわたて)」とされる大きな岩がそそり立っているのが神倉山である。
 神倉山の頂上には御神体の「ゴトビキ(ヒキガエルのこと・ゴトビキはこの地方の方言)」岩といわれる巨岩がはるか太平洋のかなたを見据えているかのように乗っかっている。
 
 神体石とも言われ、磐座(いわくら)あるいは石神で起源は原始宗教にさかのぼる。霊気に満ちた場所として千古以来信仰の的となっていたが、仏教が伝来してからは神道と仏教が融合した神仏の霊場となり、修験道も生み出した。
 
 熊野の神々(三所権現)が最初に降り立った霊地であると伝えられ、熊野信仰の一根源として最も聖なるお山とされている。参道の鎌倉積の石段を含め、神倉山一帯は県指定の史跡となっている。これは「那智の滝」が熊野那智大社の御神体と云われるのと同じである。
 
 聖地・熊野に春を呼ぶ男の火祭り、神倉神社の「お燈まつり」は毎年2月6日の夜、斉行される。
「松明」造り
  
 この祭りは、熊野年代記に、敏達天皇3年(574年)正月2日に神倉山が光を放ち、翌4年の正月6日夜、神倉火祭り始まると記されている歴史ある炎のみそぎ神事で、約2600年前、神武天皇東征の際に祭神・高倉下命が師霊(ふつのみたま)の剣をささげ持って山を駆け下り、支援に馳せ参じたという故事に形を倣って始まったといわれ、県指定無形文化財にもなっている。


白装束姿で練り歩く男達

  2千人前後の上り子(祈願者)が、白装束に身を包み、荒縄を胴に巻いたいでたちで、五角錐の松明に御神火を受け、一年の家内安全などを祈願し、急峻な538段の自然石の石積段を駆け下りる奇祭で、そのさまは「お燈まつりは男のまつり、山は火の滝くだり竜」と新宮節にも唄われている。


神倉神社の急峻な石段を登る白装束の男達
  火には全てを焼き尽くす力と、太陽のように全てを育てる生命力があり、古代よりこの火への畏怖と恵みに感謝する心が示された祭りで、上り子が松明の燃え残りを持ち帰り家に祀るのも(神霊をいただいて帰る)熊野独特の神迎えを意味している。

 「お燈まつり」は神の火をいただく神聖な神事であり、その火の受け手である上り子は、心身共に清浄でなければいけない。
 
 昔は何日も身を清めてから上ったと言われている。最近は、当日入浴や禊ぎで身を清めた後、真っ白な装束に身を包み、胴に荒縄を三または五や七巻きに締めるとともに、上り子の当日の食事も豆腐や白かまぼこ、大根おろしや白米といった白い物に統一されている。すべて潔白を意味し、身に穢れがないことを示す。

 松明にご神火をいただき各家に迎えられて神事が終わる。お燈まつりは男の祭りといわれているが、この家に迎える場面では、本来女性が大きな役割を果たす。  上り子を送り出した女性は闇の中で「おこもり」をして祈りを捧げ、家にご神火を迎えた後は、その火を灯し「さかむかえ」という祝いの膳を用意して家族で喜びを分かち合うというのが本来の姿である。
 
 現在「闇の中でおこもりをして祈る」という厳粛さはなくなったが、女性の入山禁止は、このような伝統的な祭りに関わる男女の役割分担の姿が受け継がれてきたものである。

≪お燈まつり上り子当日のタイムスケジュール≫
・16時頃  上り子白尽くめの夕食を済ませ、白装束に着替える。
・18時半頃まで 上り子三社参り(阿須賀神社・速玉大社・妙心寺を巡拝)
・19時過ぎ、上り子神倉神社境内で待機 宮司、神前岩影で火打石により斎火(いみひ)をつくる。 神殿開扉、大松明カガリ御供、御神酒を供え、宮司の祝詞
・19時半頃 大松明に点火、大松明を中の地蔵に移動、 中の地蔵では、上りこの代表が持つ松明に点火し、上がり子が山上へ登る代表が上った後山上鳥居の扉を閉める
松明に点火した直後の様子
「点火した松明」
・19時45分頃  上り子の松明全てに点火
神社付近で燃え盛る「松明」の炎
・20時頃  介釈が山上鳥居の扉を開く、上り子が一気に石段を駆け下りる。そのまま自宅に帰る。
流れ下る松明の炎が滝のようです
「ふるさとはお燈まつりの寒さかな」  佐藤春夫(地元新宮出身の詩人)

 標石には、寛文12年(1672年)奥州(現・東北地方)の大銀与兵衛盛道が、熊野三山に七度参詣した記念に寄進したとの趣旨が刻まれている。
 神倉山の麓から神倉神社への参道は、建久4年(1193年)源頼朝が寄進したと伝わる鎌倉造りの538段の石段である。(傾斜角最高で45度)
「下馬」標石
 「下馬」標石はここで乗り物を降りるように表示した石柱で、太鼓橋脇にある。
・神倉神社「お燈祭り」を勇壮な動画でお楽しみ下さい。
◎アドレス http://www.youtube.com/watch?v=_IrUtt906NA

(次は「紀州海南ひなめぐり」シリーズ第2,第3部へと進みます)

4 件のコメント:

  1. さすらいの武士モノノフにござりまする。
    度々ご訪問頂きながら当方からの挨拶が遅れたる事、
    モノノフ深くお詫び申し上げまする><
    ちょうどその時期にブログ記事に関して問題が生じ申して、それがし些か気分が高ぶっており申した。
    ようやく落ち着きを取り戻し、貴ブログを訪問させて頂いた次第にござりまする。

    紀州の文化に深く精通なされておられるご様子は、ブログ記事を拝見したれば一読にて心得申した^^
    これからもお付き合いのほど、どうぞ宜しゅう願いまするw

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  2. こんばんは♪
    「コトビキ岩」すごいです!ご神体としてお祀りした古の人の気持ちがよくわかります!
    梅が「紀の国」の象徴なら、こういった奇岩・奇物が「根の国」を現しているのかもしれませんね。
    こちらの地方のご神体は、と、しばし考え、富士山ということに考え当たりました。大きすぎて気がつきませんでしたが、たしかに、昔から「富嶽信仰」といわれてますね。

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  3. さすらいのモノノフさん
    わが家の祖先は武士で御座って中世は紀伊国守護職畠山氏
    に仕え、徳川氏入国後は初代頼宣公が駿河国から引き連れ
    て来た重臣の与力として仕えたり、いまの海南市を含む
    当時の海士郡代官を勤めたり申うした。
    このことは、「海南市史」にも記載して御座る。
    しこうして、手前昔の郷土史にも興味ありすぎて、相当調
    べたりしたもんじゃぁ。
    大野「春日神社」を大和の地から古代大野郷に勧請して
    大野郷に移住した内の一家でござる。
    それ故、紀州のことどもにも、ちと関心大ありでござる。
    末長ごう、よろしく仕ろうぞ!モノノフ殿。

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  4. EYASUKOさん
    古代は大和の大神神社は「三輪山」が御神体、熊野の那智
    大社は那智の滝が御神体というように、磐座・滝等自然に
    畏怖したと確信します。
    したがって巨大で火を吹く富士の御山は恐れ慄くべき対象
    として絶大なる信仰の対象になったの相違ありません。
    それにしても、富士を描いて縦横無尽葛飾北斎の「富嶽三
    十六景」は、その構図といい発想の奇抜、大胆さといい、
    右にでるモノ、いまだかつておりません。
    それにポルノになるが「海女」が大ダコの犯されている絵
    なんて誰が考え出し得ましょうや?
    しげやん、北斎が大好きで、好きが嵩じて「北斎漫画」ま
    で買いますたよ!

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