長嶋茂雄氏と松井秀喜氏に国民栄誉賞W受賞・政府決定!
異例のダブル受賞になった国民栄誉賞。実は、安倍晋三首相は先に元大リーグ選手の松井秀喜さん(38)への授与を決めていた。長嶋茂雄・元巨人監督(77)と師弟コンビで授与する案は後から浮上したという。
関係者によると、首相が松井さんへの授与を検討するよう指示したのは、昨年12月29日、福島視察に向かう新幹線の車中だった。松井さんは当時、引退表明したばかり。活躍ぶりが話題になり、側近が「国民栄誉賞の候補ですね」と水を向けた。首相は「そうだね。(国民や本人が)一番喜んでくれる時にあげなければいけない」と応じた。
そんななか、今年1月に元横綱大鵬の納谷幸喜(72)さんが亡くなった(「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語で一世を風靡(ふうび)し大相撲で史上最多32回の優勝を達成した)。
首相は2月、松井さんより先に国民栄誉賞授与を決めた。すると、首相官邸に「生前に贈ってほしかった」というメールが多数届いた。「長嶋さんにも贈るべきだ」との声も多かったという。
元横綱大鵬・納谷幸喜 |
亡元大鵬関へ国民栄誉賞授与 |
首相はすぐに長嶋さんへの授与も指示。今年が長嶋さんの巨人入団(1958年)から55周年であることと、松井さんの現役時代の背番号「55」にちなみ、5月5日のこどもの日に表彰することを検討している。
現役引退を惜しむ観衆に手をあげてこたえる長嶋茂雄さん=1974年10月
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ヤンキース時代、ワールドシリーズで最優秀選手に選ばれ、トロフィーを掲げる松井秀喜さん
=2009年11月、ニューヨーク、ロイター
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安倍政権は1日、長嶋茂雄・元巨人監督(77)と元大リーグ選手の松井秀喜氏(38)に国民栄誉賞を授与する方針を決めた。菅官房長官が記者会見で「事務局に検討を進めるよう指示した」と公表。関係者の意見を聞いたうえで、安倍晋三首相が近く正式決定する。
国民栄誉賞は過去に20人と1団体が受賞している。安倍政権下では、2月の48代横綱・大鵬の納谷幸喜さん(故人)に続いて2例目。首相は1日夕、授与方針の理由について首相官邸で記者団に「長嶋さんは何と言っても戦後の最高のスーパースターだ。松井さんは日米でともに愛された野球選手だ」と語った。
国民栄誉賞は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」を基準に首相が決める。菅氏は長嶋氏を「ミスタープロ野球と呼ばれるなど野球界の生んだ国民的スター」と説明。「先般の大鵬に対して『なぜ生前に授与しなかったのか』という意見があった」とも明かした。松井氏の功績は「日本人として初めて米国大リーグ・ワールドシリーズで最優秀選手賞(MVP)を獲得し、ゴジラの愛称で日米国民に親しまれた」と語った。
長嶋氏は巨人の9年連続日本一(V9)の中心選手として黄金時代を支え、巨人監督としても1994年と2000年に日本一に導いた。松井氏は巨人と大リーグのヤンキースなどで活躍し、07年には日米通算2千安打を達成。日米通算507本塁打を記録し、昨季限りで現役を引退した。
☆ ☆ ☆
4月1日、このニュースが流れたときは、エイプリル・フールなので、真偽のほどが注目された。
そして、報道源は二人が属した読売ジャイアンツの「読売新聞」ではなくて、関東群馬県の「上毛新聞」だったのも興味深い。読売新聞は後手に回り、2日には紙面を大々的に割いて報道したが、所詮「あとの祭り」。
そして、報道源は二人が属した読売ジャイアンツの「読売新聞」ではなくて、関東群馬県の「上毛新聞」だったのも興味深い。読売新聞は後手に回り、2日には紙面を大々的に割いて報道したが、所詮「あとの祭り」。
政府は、プロ野球読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(77)と、巨人や米大リーグ・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(38)のダブル授与を決めたが、これを真っ先に報じたのは2人と関係が深い読売新聞ではなく、なぜか、群馬県の地方紙「上毛新聞」(本社・前橋市)だったのだ。
しかし、このニュースが伝えられるや物議を醸しているのは、松井氏への同賞授与の件である。世論の盛り上がりを受けてどうやって早期に長嶋氏に本賞を授与するべきか、政府自民党が人気取り策の実行に向けひねり出した苦肉の策が、今回の松井氏の引退を機にした「師弟同時受賞」だったわけですが、果たして松井氏に長島氏と同時受賞するだけの特別理由があったのか否かです。
本人はアメリカに留まってスポーツ指導者としての資質を高める勉強をしようとしている最中であり、プロ野球選手としては日米両リーグで大活躍し、偉大な成績をあげたことは否定すべくもないが、スポーツ指導者としてはいわばこれからの発展途上にあると思われます。それを長島氏と師弟同時受賞にコジツケタ政府の人気取り政策の勇み足に松井氏本人も建前はともかく本音はいささか苦しいところであり、世論の“炎上”も分からなくはありません。
松井氏には罪はないのですが、どう考えてもこれまでのスポーツ選手の同賞受賞者からみて同じ日本人大リーガーで比較をしても、日本人で大リーグでの活躍の道を切り拓いた元近鉄バッファローズ→LAドジャースの野茂英雄氏を差し置いての選出はいかがなものでしょうか?
物事には順序があるのは、みなさんもよくお分かりのことと想うが、偉大な功績を挙げた諸先輩を差し置いてまで賞を授与する必要は感じられない。彼はもっと大成する能力を保有している。国民栄誉賞受賞第1号の王貞治氏は37歳で受賞しているが、その後の受賞者の年令等を見るに松井選手がもう少しかし先日来し後でも問題はないのではなかろうか。それも、もっと上位の賞を受賞して欲しい・・・!
最右翼はもちろん大リーグで多くの記録を作っているイチロー選手ですが、本人が現役での受賞を固辞しているため、受賞は本人の引退後となるから本論からは除外されます。
本人はアメリカに留まってスポーツ指導者としての資質を高める勉強をしようとしている最中であり、プロ野球選手としては日米両リーグで大活躍し、偉大な成績をあげたことは否定すべくもないが、スポーツ指導者としてはいわばこれからの発展途上にあると思われます。それを長島氏と師弟同時受賞にコジツケタ政府の人気取り政策の勇み足に松井氏本人も建前はともかく本音はいささか苦しいところであり、世論の“炎上”も分からなくはありません。
松井氏には罪はないのですが、どう考えてもこれまでのスポーツ選手の同賞受賞者からみて同じ日本人大リーガーで比較をしても、日本人で大リーグでの活躍の道を切り拓いた元近鉄バッファローズ→LAドジャースの野茂英雄氏を差し置いての選出はいかがなものでしょうか?
物事には順序があるのは、みなさんもよくお分かりのことと想うが、偉大な功績を挙げた諸先輩を差し置いてまで賞を授与する必要は感じられない。彼はもっと大成する能力を保有している。国民栄誉賞受賞第1号の王貞治氏は37歳で受賞しているが、その後の受賞者の年令等を見るに松井選手がもう少しかし先日来し後でも問題はないのではなかろうか。それも、もっと上位の賞を受賞して欲しい・・・!
最右翼はもちろん大リーグで多くの記録を作っているイチロー選手ですが、本人が現役での受賞を固辞しているため、受賞は本人の引退後となるから本論からは除外されます。
松井氏の大リーグ時代の輝かしい足跡と言えば、ヤンキース時代のワールドシリーズMVPぐらい。これとてシーズンMVPならともかく単なるシリーズ表彰であり、大リーグ時代のシーズンタイトルはゼロなのです。日本国内では本塁打、打点各3回、打率1回のタイトルをとっており十分一流選手ではあるものの、国民栄誉賞レベルからみてどうかというなら、本塁打、打点、打率各5回、うち3回は三冠王という落合博満氏の成績に遠く及びません。
長嶋氏のように成績以外にこれといった何かがあるわけでもなく、成績も普通の「一流」という人を授与対象とするのは、本人がかわいそうなだけではないかと思うのです。
長嶋氏のように成績以外にこれといった何かがあるわけでもなく、成績も普通の「一流」という人を授与対象とするのは、本人がかわいそうなだけではないかと思うのです。
松井氏の立場に立てば、「師弟同時受賞」などと書きたてられては、断るに断れない状況に追い込まれているのは明らかで、本当に気の毒です。今回の授与はとにかく「長嶋氏に早く同賞を授与したい」という焦りから生じた完全な勇み足でしょう。この賞を継続するのなら明確な基準を設けるか、毎年1回定例授与として世論調査を参考にして受賞対象を絞り込むとか、なんらかの仕切り直しを早急に検討すべきであると思うにはいかがなモノでしょうか?みなさんは如何お考えになりましょうか?
■国民栄誉賞受賞者リスト■
氏 名 | 表彰年月日 | 功績(盾の文) | 備考 | |
1 | 王 貞治 | 昭和52年9月5日 | ホームラン新記録達成の功 | 昭和52年9月3日に記録達成 |
2 | 古賀正男 (古賀政男) | 昭和53年8月4日 | 「古賀メロディー」作曲による業績 | 昭和53年7月25日死去 |
3 | 長谷川一夫 | 昭和59年4月19日 | 真摯な精進 卓越した演技と映画演劇界への功績の功 | 昭和59年4月6日死去 |
4 | 植村直己 | 昭和59年4月19日 | 世界五大陸最高峰登頂などの功 | アラスカで行方不明 |
5 | 山下泰裕 | 昭和59年10月9日 | 柔道における真摯な精進 前人未到の記録達成などの功 | |
6 | 衣笠祥雄 | 昭和62年6月22日 | 野球における真摯な精進 前人未到の記録達成の功 | |
7 | 加藤和枝 (美空ひばり) | 平成元年7月6日 | 真摯な精進 歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた功 | 平成元年6月24日死去 |
8 | 秋本 貢 (千代の富士) | 平成元年9月29日 | 真摯な精進 相撲界への著しい貢献の功 | |
9 | 増永丈夫 (藤山一郎) | 平成4年5月28日 | 歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与えた功 美しい日本語の普及に貢献 | 平成5年8月21日死去 |
10 | 長谷川町子 | 平成4年7月28日 | 家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功 | 平成4年5月27日死去 |
11 | 服部良一 | 平成5年2月26日 | 数多くの歌謡曲を作り国民に希望と潤いを与えた功 | 平成5年1月30日死去 |
12 | 田所康雄 (渥美 清) | 平成8年9月3日 | 映画「男はつらいよ」シリーズを通じ人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えた功 | 平成8年8月4日死去 |
13 | 吉田 正 | 平成10年7月7日 | 「吉田メロディー」の作曲により国民に夢と希望と潤いを与えた功 | 平成10年6月10日死去 |
14 | 黒澤 明 | 平成10年10月1日 | 数々の不朽の名作によって国民に深い感動を与えるとともに世界の映画史に輝かしい足跡を残された功 | 平成10年9月6日死去 文化勲章の受章者で国民栄誉賞を受けるのは初めて |
15 | 高橋尚子 | 平成12年10月30日 | 2000年シドニーオリンピック女子マラソンで優勝 陸上競技で日本女子選手初の金メダルを獲得し国民に深い感動と勇気を与えた功 | |
16 | 遠藤 実 | 平成21年1月23日 | 世代を超えて長く愛唱される、情感に満ちあふれた名曲を数多く世に送り出し、国民に夢と希望と潤いを与えた(河村建夫官房長官の会見における説明) | |
17 | 村上美津 (森 光子) | 平成21年7月1日 | 長年にわたり芸能分野の第一線で活躍し、特に『放浪記』において2000回を超える主演を務め、国民に夢と希望と潤いを与えた(河村建夫官房長官の会見における説明) | |
18 | 森繁久弥 | 平成21年12月22日 | 芸能の分野において長年にわたり第一線で多彩な活躍をされ、数多くの優れた演技と歌唱は広く国民に愛され、夢と希望と潤いを与えた(鳩山由紀夫首相の授与式における説明) | 平成21年11月10日死去 |
19 | なでしこジャパン (女子サッカー 日本代表) | 平成23年8月18日 | 最後まで諦めないひたむきな姿勢が国民にさわやかな感動と、東日本大震災などの困難に立ち向かう勇気を与えた(枝野幸男官房長官の会見による説明) | 団体での受賞は初めて。 |
20 | 吉田沙保里 | 平成24年11月7日 | 世界大会13連覇というレスリング競技史上、前人未到の偉業を成し遂げ、国民に感動と希望、勇気を与えた。 |
■国民栄誉賞辞退者■
氏 名 | 辞退理由 | |
1 | 福本 豊 | 1983年6月に当時の世界記録となる通算939盗塁を達成。中曽根康弘首相から国民栄誉賞の授与を打診されたが、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」と固辞。 |
2 | 古關勇治 (古関裕而) | 1989年に授与(没後)が内定していたが、親族が辞退 |
3 | 鈴木一朗 (イチロー) | 2001年、メジャーリーグで日本人選手史上初となる首位打者・盗塁王のタイトルを獲得する活躍を見せた。この活躍に、小泉純一郎内閣から授与を打診されたが、「国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」と固辞した。 |
4 | 2004年、メジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新したことから国民栄誉賞の授与を検討されたが、再度固辞した。 |
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