米国の詩人にサミエル・ウルマン(1840~1924)という人がおられた。
彼がつくった「青春(の詩)」は世界中に知れ渡り、人生の座右の銘にされている人が大勢おると聞く。この有名なウルマンの詩を新井満氏が現代風に自由訳した詩がいま流行である
これを読めば人生いかにあるべきかが、少しは分かってくるような気がする みなさんも読んでみられませんか!
~~~青春とは~~~
原作詩:サムエル・ウルマン
自由訳:新井満
青春とは 真の 青春とは 若き 肉体の中に あるのではなく
若き精神の中にこそ ある
薔薇色の頬 真っ赤な唇 しなやかな身体 そういうものは
たいした問題ではない
問題にすべきは 強い意志 ゆたかな想像力 もえあがる情熱
そういうものが あるか ないか
こんこんと涌きでる 泉のように あなたの精神は 今日も新鮮だろうか
いきいきしているだろうか
臆病な精神のなかに 青春はない 大いなる愛のために発揮される
勇気と冒険心のなかにこそ 青春は ある
臆病な二十歳がいる 既にして 老人
勇気ある六十歳がいる 青春のまっただなか
歳を重ねただけで 人は老いない
夢を失ったとき はじめて老いる
歳月は 皮膚にしわを刻むが
情熱を失ったとき 精神は しわだらけになる
苦悩 恐怖 自己嫌悪
それらは 精神をしぼませ ごみくずに変えてしまう
誰にとっても大切なもの それは感動する心
次は何がおこるのだろうと 目を輝かせる 子供のような好奇心
胸をときめかせ 未知の人生に
挑戦する喜び
さあ 目をとじて 想いうかべてみよう
あなたの心のなかにある 無線基地
青空高くそびえたつ たくさんの
光り輝くアンテナ
アンテナは受信するだろう
偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ
世界がどんなに美しく 驚きにみちているか
生きることが どんなに素晴らしいか
勇気と希望 ほほえみを忘れず
命のメッセージを 受信しつづけるかぎり
あなたはいつまでも 青年
だが もしもあなたの 心のアンテナが 倒れ
雪のように冷たい皮肉と 氷のように頑固な失望に
おおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても
あなたは立派な 老人
あなたの心のアンテナが 今日も青空高くそびえたち
命のメッセージを 受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても
あなたはつねに 青春
青春とは 真の 青春とは
若き肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
☆ ☆ ☆
※サミエル・ウルマン(1840~1924)米国の作詩家・信仰家・ユダヤ系米国人。「青春(の詩)」で世界的に有名になった。この詩は今でも全世界の人々に愛され、伝え続けられている。
この詩のエピソードとしては、2次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。
マッカーサー元帥は、友人のJohn W.Lewis氏(コーネル大学教授)よりこの詩を贈られ、座右の銘として何時も執務室に飾っていた。しかし作詩者のサミエル・ウルマン氏は、当時は全く無名で、アラバマ州の人だと言うこと以外は全く知られていなかった。
この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ元「東京毛織OB」)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。
又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話である。
その後、色々な人が、サミエル・ウルマン氏について調べ、近年になり、アラバマ州のバーニングハム市に、ウルマンが晩年に過ごした家がみつかり、彼の作成した他の詩も発見された。JASA(日本協会)が、1993年に日米親善事業の一環として、その家を買い取り「ウルマン記念館」として運営している。 日本で有名になり、アメリカにお里帰りした心温まる話である。
最近では「千の風になって」で有名な新井満氏がこの詩を自由訳した詩は現代風で、われわれ現代人に受け入れられやすく、よく読まれているので、その方をご紹介することにした。
サミュエル・ウルマン氏の詩(英文)およびそれを名訳で紹介した岡田義夫氏の詩をご希望ならばサミエル・ウルマン「青春(の詩)」で検索すれば、そぐに見つかりますから・・・!
※自由訳:新井 満(あらい まん・1946~)まん)
☆ ☆ ☆
※サミエル・ウルマン(1840~1924)米国の作詩家・信仰家・ユダヤ系米国人。「青春(の詩)」で世界的に有名になった。この詩は今でも全世界の人々に愛され、伝え続けられている。
この詩のエピソードとしては、2次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。
マッカーサー元帥は、友人のJohn W.Lewis氏(コーネル大学教授)よりこの詩を贈られ、座右の銘として何時も執務室に飾っていた。しかし作詩者のサミエル・ウルマン氏は、当時は全く無名で、アラバマ州の人だと言うこと以外は全く知られていなかった。
この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ元「東京毛織OB」)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。
又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話である。
その後、色々な人が、サミエル・ウルマン氏について調べ、近年になり、アラバマ州のバーニングハム市に、ウルマンが晩年に過ごした家がみつかり、彼の作成した他の詩も発見された。JASA(日本協会)が、1993年に日米親善事業の一環として、その家を買い取り「ウルマン記念館」として運営している。 日本で有名になり、アメリカにお里帰りした心温まる話である。
最近では「千の風になって」で有名な新井満氏がこの詩を自由訳した詩は現代風で、われわれ現代人に受け入れられやすく、よく読まれているので、その方をご紹介することにした。
サミュエル・ウルマン氏の詩(英文)およびそれを名訳で紹介した岡田義夫氏の詩をご希望ならばサミエル・ウルマン「青春(の詩)」で検索すれば、そぐに見つかりますから・・・!
※自由訳:新井 満(あらい まん・1946~)まん)
作家、作詩作曲家、写真家、環境映像プロデューサー、 長野冬季オリンピック開閉会式イメージ監督など、多方面で活躍中。 1946年新潟市生まれ、上智大学法学部を卒業後、電通に入社。 在職中はチーフプロデューサーをつとめた。 小説家としては1988年『尋ね人の時間』で芥川賞を受賞。 2003年11月に発表した写真詩集『千の風になって』(講談社)と、 それに曲を付け自ら歌唱したCD『千の風になって』(ポニーキャニオン)は 現在もロングセラーを続けている。 同曲によって2007年レコード大賞作曲賞を受賞。 日本ペンクラブ常務理事として、平和と環境問題を担当。 著書多数。 近著に、『自由訳 般若心経』『自由訳 イマジン』『自由訳 老子』(以上朝日新聞社)、 『自由訳 十牛図』(四季社)、CDブック『プーさんの鼻のララバイ』(共同通信社) 『良寛さんの愛語』(考古堂)などがある。 公式サイト マンダーランド通信:http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/ |
これを地で行ったのが、これから採り上げようとしている「La Festa Primavera 」と「黒江japan」の主旨・理念である。 お互い「歴史があり伝統ある古いモノに敬意を表し、大事にしてゆこうという共通した認識」のもとでお互いの活動をしている。
お互いやっている活動そのものは異なるが、その主旨・理念たるや同じであり共通している。
このことが2013年の「La Festa Primavera 」のクラシックカーの祭典である走行ラリーで活かされた。
というのは世界的に有名なクラシックカーが日本で4大漆器産地の一つに数えられる歴史ある古くからの漆器の町「黒江」のメインストリート「川端通り」を走り、その西端に位置する「紀州漆器伝統産業会館」通称「うるわし館」をレースのスタンプ・ポイントにしたいと要請があったことに始まる。
これを受けて「黒江japan」は願ってもない名誉な仕事であり、「黒江の町」の知名度が向上する業務だ受け止め、「黒江japan」内に実行委員会を立ち上げ、日頃の仕事を抛って数回に及ぶ実行委員会を開催し、無事故で円滑な運営・進行を目標に掲げ、熱心な企画・取り組みを行ってきた。
この結果はご承知の通り「La Festa Primavera 2013」参加のレーサーや運営事務局からも多大の感謝と喜びの言葉を貰い観客も大勢動員でき、「黒江の町」が全国に知られる機会が生まれるなど、大きな置き土産を残して頂いた。この度の「ラ・フェスタ」のスタンプ・ストップ場所指名は、はからずも黒江の町が全国的にPRされる絶好のチャンスとなった。
”天は自ら助けるものを助く”(Heaven helps those who help themselves.)
を「黒江japan」スタッフは、わが身をもって、このことを体験することができた。
この体験は今後の「黒江japan」に自信を植え付け、何事にもチャレンジする精神を学ばせて頂く、よい体験となった。こうなれば目標に向かって挑戦した苦労は、逆に大きな喜びに変わるだろう。
そうして、今後はより高度なものに対してもチャレンジする精神と勇気を与えてくれた。
「黒江japan」は熱い!そうして「黒江の町」も熱くなる。そういうキッカケを与えられた。
(苦労した途中経過を報告すべきですが、今は自慢話になりそうなので省略します)
以上を、再確認のために「La Festa Primavera 」企画主旨・理念と「黒江japan」の設立主旨を以下に掲げておきます。なお、海南市のPRのために神出市長さん自らがスタンプ係を率先担当され、有名タレントとも親しく挨拶を交わされる等、黒江の町を飛び越えて「海南市」のPRに懸命なご奮闘賜ったことを附記して筆を置きます。なお、22日当日の画像を数多く貼付しますので、どうぞ十分にお楽しみ下さい。 世界的な歴史的クラシックカーは滅多に目に掛かり得ませんから!
「La Festa Primavera 」企画主旨・理念
美白、車ばなれ、引きこもり、ナンパ未経験の草食系男子が増加傾向の現代にあって、日焼けOK、車大好き、好色で肉食系の大人たちが存在します。彼らは草食系の若者と正反対のライフスタイルを貫き、大会に参加し人生を楽しみます。
大会はLa Festa Primavera(春の祭典)と呼ばれ、2009年に誕生、舞台は東海、近畿地方2府6県の約1,000km、この行程を4日間かけて、半世紀以上前に製造された古い愛車で挑みます。
参加者は俗にいう「チョイ悪オヤジ」と呼ばれるような柔(ヤワ)な大人たちでなく、彼らは、逆境大好き辛抱強い大人の反面、よく言えば個性的、悪く言えばわがまま、共通点は子供の頃の感性を失わない冒険好き且つ遊び心を失わない人種の大人たちです。
古くなったら買い換える!飽きたら捨てる!ではなく、古い物をこよなく愛し、夢をなくした瞬間から老いることを知り、人と人との出会いを大切にしていれば、人生はもっと楽しくなるはずです。
・「黒江の町並みを活かした景観づくり協定」運営協議会(「黒江japan」の改称)設立主旨とこれまでの経過
「黒江の町並み守ろう 住民ら相互に協定締結 :わかやま新報・2012.01.15号
「紀州漆器」 の町で知られる海南市黒江の歴史があり伝統ある町並みを保全しようと、 住民らがこのほど、 景観づくりに関する自主ルールなどを盛り込んだ 「黒江の町並みを活かした景観づくり協定」 を相互に締結した。 自主ルールでは建築物の高さや色彩について、 景観が損なわれないよう配慮するように定めている。
黒江は室町時代に起源があるとされる日本漆器4大産地の一つ。 漆器職人たちの住居兼職場や問屋が通りに面して 「のこぎりの歯」 のように規則正しく並び、 家の前に三角の空間ができる独特の景観が特徴。 「紀州連子 (れんじ)」 と呼ばれる特徴のある格子など、 落ち着いた雰囲気で観光客に人気だ。 中でも現在も続く池庄漆器店の建物は築200年を誇り、 国の登録有形文化財に指定されている。
こうした景観を守ろうという動きは、 これまで行政主体ではあったが どれも長くは続かなかった。 住民主体の景観保全の取り組みは今回が初めてで、 「今何かしないと、 町並みが消えてしまう」 と、 周辺地域も含めて約80世帯が協定の締結に協力した。
「黒江japan」のロゴマーク 地元日展漆芸作家H氏デザイン |
協定では自主ルールを定めた他、 空き家を管理してイベント時に活用することにしている。 協定の有効期間は平成29年3月31日までの5年間。 協定者の過半数以上の申し出がなければ、 さらに5年間延長して継続していく。
県は県景観条例に基づき、 同協定を 「わかやま景観づくり協定・知事認定第1号」 として認定した。同協定の運営協議会は、 黒江の区域外からも協働で景観づくりを行っていく 「サポーター」 を募集している。 まちづくりに興味がある人が対象で、 県外の人でも可。 問い合わせは同協議会の阪井俊夫さん (℡080・3773・3616) へ。 事務局「うるわし館」℡.073(482)0322
※「La Festa Primavera 2013」ラリーのスタンプ・ストップをお引き受けするに当たって
{黒江japan」のより一層の団結の「絆」を強化するため、全員同じユニフォームで心を一つ
にすべく、I実行委員長の計らいで地元の著名な日展漆芸作家H氏デザインによる「黒江japan」 ロゴマークが完成しましたので、ユニフォームと当日押印するスタンプを同じロゴマークで作成・使用しました。
今後このユニフォーム姿を町中で見かけましたら、お気軽にお声をかけて下さい。黒江のみなさま方のお役に立つことができれば、光栄に存じます!
・22日:09:05~10:05「黒江」「うるわし館」前スタンプ・停車風景画像
「うるわし館」周辺風景 |
エントリーNO.01・D:秋元京人 1925年製・BUGATTI T22/T13R |
エントリーNO.02/D:上島孝行 1927年製・BNC527 MONZA |
プレゼント用お土産バッグ |
エントリーNO.09・D:出川勇人 1935年製・FIAT 508S BALILLA COPPA D’ORO |
スタンプ・ストップ風景 押印するのは神出市長さん お土産を手渡し風景 エントリーNO.3・D:下田哲也氏 1929年製・BNC 527 SPA
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スタンプ押印書を手渡す神出市長さん ドライバー・エントリーNO.21:佐藤陽一氏 1952年製・FIAT BV ZAGATA |
スタンプ&お土産手渡し風景・エントリーNO.22平野喜正氏 1952年製・MG TD |
エントリーNO.46:久富浩氏 1955年製・JAGUAR XK140 OTS |
お土産プレゼント |
エントリーNO.33/D:村瀬啓方 1957年製 MORETTI 750 SPECIAL |
エントリーNO.34/杉浦康之氏 1954年製:MASERATI OSCA MT4 2AD |
エントリーNO.43・マッチこと近藤真彦氏 1956年製・ALFA ROMEO GIULIETTA(上下とも) |
エントリーNO.33・D:村瀬啓方氏 1955年製・MORETTI 750SPECIAL |
マッチこと近藤真彦氏と談笑する神出市長さん(上下とも) |
エントリーNO.43・D:マッチこと近藤真彦 1956年製・ALFA ROMEO GIULIETTA |
エントリーNO.69・D:速水高義
1967年製・AUSTIN HEALEY
1967年製・AUSTIN HEALEY
(下の3枚はうるわし館附近風景)
トラブル車両キャリーカー |
☆ ☆ ☆
22日の「うるわし館」前スタンプ・ストップでドライバーの方々にプレゼントすろ頂いたお土産の提供のご協力頂いたお方を紹介をさせていただきます。
「黒江」は熱い!!!
・妹背漆器様よりマグネット(黒江japanロゴ入り)
・中西工芸様より一輪差し(黒江japanロゴ入り)中身が見られないのが残念です。
・中野BC様より「La Festa Primavera 2013」印刷入。
・カイナンマンのテーマのCD(「La Festa Primavera 2013」印刷入り):まちづくり海南提供
・「La Festa Primavera 2013」のスタジャン。
・「La Festa Primavera 2013」のスタジャン。
・「La Festa Primavera 2013」のスタジャン。
・黒江小学校・小学生が作ってくれた歓迎横断幕。カラフルで私には作れない(発想力がない)
・チエックポイントの押印用のスタンプ。 素敵ですね。
・それと、あと一社様よりいただける予定になっております。 合わせて後日掲載いたします。
支援金といたしまして下記の方様より申し受けました。
・海南ロータリークラブ様。
・ソフトバンク海南様。
・池庄漆器店様。
この度のご厚情まことにありがとうございました。紙面をお借りして厚く御礼申し上げます。
ドライバー&「La Festa Primavera 」運営事務局さんからは海南地産のお土産ということで、大変喜んで頂きました。有名人さんに差し上げたからには、キッと広告塔となり大勢の方に奨めてくれるでしょう!みなさんのお力をお借りして海南が全国的にもっと知られればと思います。
以上
支援金といたしまして下記の方様より申し受けました。
・海南ロータリークラブ様。
・ソフトバンク海南様。
・池庄漆器店様。
この度のご厚情まことにありがとうございました。紙面をお借りして厚く御礼申し上げます。
ドライバー&「La Festa Primavera 」運営事務局さんからは海南地産のお土産ということで、大変喜んで頂きました。有名人さんに差し上げたからには、キッと広告塔となり大勢の方に奨めてくれるでしょう!みなさんのお力をお借りして海南が全国的にもっと知られればと思います。
以上
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