今年も、はや4月に入りました。-花も桜の花から桃の花へ・・・
桃といえば旧暦3月3日は「上巳の節句」桃の花が咲く季節であることから、「桃の節句」とも呼ばれる。しかし、新暦の3月3日「桃の節句」はなんだかピンと来ない。何と言っても桃はツボミさへ付けていないからだ。
明治に入って旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に切り替わるまでは、わが国でも長い期間旧暦で過ごしてきました。
新暦3月3日が「桃の節句」というのに季節の違和感を感じるのも、こうした理由によるのだろう!桃の花が満開になるのは4月に入ってからで、因みに旧暦の3月3日は今年は4月12日に当たる。
「桃」は元来中国において仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果実の意)と呼ばれ、昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として親しまれている。
日本においても中国と同様、古くから桃には邪気を祓う力があると考えられている。『古事記』では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。
また、『桃太郎』は桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する民話である。3月3日の桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事である。
「桃」に関連して楽天地・理想郷の近い表現に「桃源郷」というのがある。これから訪ねようとしているのは紀ノ川市にある桃の里「桃源郷」なのだが、この桃源郷をわれわれは往々にして理想郷やユートピアと誤解している向きが多いので、本来のことを再確認しておくことが必要である。
桃源郷の初出は六朝時代に活躍した詩人・陶淵明(365~427年)が著した詩『桃花源記 ならびに詩』である。
大略は、中国・晋の太元年間(376~396年)、武陵(湖南省)に漁師の男がいた。ある日、山奥へ谷川に沿って船を漕いで遡ったとき、どこまで行ったか分からないくらい上流で、突如、「桃」の木だけが生え、「桃」の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。その香ばしさ、美しさ、花びらや花粉の舞い落ちる様に心を魅かれた男は、その源を探ろうとしてさらに桃の花の中を遡り、ついに水源に行き当たった。そこは山になっており、山腹に人が一人通り抜けられるだけの穴があったが、奥から光が見えたので男は穴の中に入っていった。
穴を抜けると、驚いたことに山の反対側は広い平野になっていたのだった。そこは立ち並ぶ農家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しいところだった。行き交う人々は外の世界の人と同じような衣服を着て、みな微笑みを絶やさず働いていた。
男を見た村人たちは驚き話しかけてきた。男が自分は武陵から来た漁師だというとみなびっくりして、家に迎え入れてたいそうなご馳走を振舞った。村人たちは男にあれこれと「外の世界」の事を尋ねた。そして村人たちが言うには、彼らは秦の時代の戦乱を避け、家族や村ごと逃げた末、この山奥の誰も来ない地を探し当て、以来そこを開拓した一方、決して外に出ず、当時の風俗のまま一切の外界との関わりを絶って暮らしていると言う。彼らは「今は誰の時代なのですか」と質問してきた。驚いたことに、ここの人たちは秦が滅んで漢ができたことすら知らなかったのだ。ましてやその後の三国時代の戦乱や晋のことも知らなかった。
数日間にわたって村の家々を回り、ごちそうされながら外の世界のあれこれ知る限りを話し、感嘆された男だったが、いよいよ自分の家に帰ることにして暇を告げた。村人たちは「ここのことはあまり外の世界では話さないでほしい」と言って男を見送った。穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻り、村人を裏切ってこの話を役人に伝えた。役人は捜索隊を出し、目印に沿って川を遡らせたが、ついにあの村の入り口である水源も桃の林も見付けることはできなかった。その後多くの文人・学者らが行こうとしたが、誰もたどり着くことはできなかった。
わが国でいえば、平家の落武者が隠れ住んだ人里離れた「隠れ里」か、昔話に出てくる「浦島太郎物語」なのかも知れない。どこの国の伝承にも、よく似た話がいっぱいある。
さて、ハナシを本題に戻して
桃の花満開、一目十万本の「桃源郷」! (和歌山県紀ノ川市)
一目十万本といわれる桃畑が広がる紀の川市桃山町では、桃の花が満開となり、花見客が多くなっています。
紀の川市は、「あら川の桃」ブランドで知られる全国有数の桃産地で、桃の花が満開となるこの時期は、町じゅうが濃いピンク色と甘い香りに包まれ、桃源郷(とうげんきょう)として、環境省の「かおり風景100選」にも選ばれています。
一方、桃農家では、枝に数多く咲いている花から、実として育てる花を選び、その他の花を落とす「花摘み」の作業が始まっています。
4/6開催予定の「桃山まつり」は悪天候のため中止となりました。お詫びして報告します。
紀の川市では、桃の花の時期に、多くの人に楽しんでもらおうと、X4月6日(土)に、桃山グラウンドでX「桃山まつり」を、翌7日(日)には、桃源郷運動公園陸上競技場を発着点とする「桃源郷ハーフマラソン大会」が行われます。週間天気予報では余り良くないようだが、好天になって欲しい!
・桃源郷|自然・景観|和歌山県フォト博物館 www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/photomuseum/126.html
以上
紀の川市は、「あら川の桃」ブランドで知られる全国有数の桃産地で、桃の花が満開となるこの時期は、町じゅうが濃いピンク色と甘い香りに包まれ、桃源郷(とうげんきょう)として、環境省の「かおり風景100選」にも選ばれています。
一方、桃農家では、枝に数多く咲いている花から、実として育てる花を選び、その他の花を落とす「花摘み」の作業が始まっています。
4/6開催予定の「桃山まつり」は悪天候のため中止となりました。お詫びして報告します。
紀の川市では、桃の花の時期に、多くの人に楽しんでもらおうと、X4月6日(土)に、桃山グラウンドでX「桃山まつり」を、翌7日(日)には、桃源郷運動公園陸上競技場を発着点とする「桃源郷ハーフマラソン大会」が行われます。週間天気予報では余り良くないようだが、好天になって欲しい!
・桃源郷|自然・景観|和歌山県フォト博物館 www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/photomuseum/126.html
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿