優秀賞『うさぎのしっぽが短いわけは』小倉小5年・田村 純礼さん
みなさん、うさぎのしっぽは丸くて短いですよね。実は、昔はうさぎのしっぽが長かったんです。なぜうさぎのしっぽが短くなったのでしょう。それは、こんな物語があったからです。
ビットは頭が良くて、自分のしっぽを木の枝にまきつけて、木から木へと移っては仲間をおいかけて遊んでいました。まるで、おさるのように。でも、いたずらっ子のビットは、せまい村にあきあきしていました。
そんなある日、ビットはきんじられている人間の村に行くことを思いついたのです。「だめだよ。あそこには行ってはいけないんだ」「ふんっ、いくじなし。おれ一人でも行ってやる」。友達が止めようとしても、ビットはどうしても行くようです。そして、本当に人間の村へビットは行ってしまいました。
人間の村に着いたビット。おもしろいことないかなとうろうろしていると、ビットはものすごい物を見つけました。「あっにんじんだ。それににんじんがあんなにきれいに並んでいる。すんげぇなぁ」。ビットは、初めてみる光景に目をうばわれました。そして、つい夢中になって食べていました。後から人間が近づいて来ているのにも気付かずに──。
「こらっ」。自まんの耳がちぎれてしまいそうなくらいの、大きな声が畑じゅうにひびきました。はっとふり返ると、そこに、うでを組んでビットを見下ろしている人間の男の子が立っていました。「人の畑の作物を勝手に食べやがって、こらしめてやる」。
とてもおそろしくなったビットは、「ごめんなさい。もうしません。だから許して下さい」と、必死に涙ぐみながらあやまりました。
「そうか??。もうしないのなら許してやる。二度とするなよ」。そういって、男の子は、悪いことをしたビットをにがしてやりました。
しかし、いたずらっ子のビットには、反省する気など全くありません。かえって、村のみんなに、人間の畑のにんじんが、いかにおいしいかを、自まんし始めました。 その話を聞き、「おいしいにんじんが食べれるって」「見つかってもにがしてくれるんだって」と、ビットの話にのせられたみんなは、きんじられているのに村へ行ったビットをしかりもせず、人間の村へ行くことにしたのです。おなかいっぱいに、にんじんを食べたくて。
畑についたうさぎたちは、片っぱしからにんじんに飛びつきました。長いしっぽでぬきとっては、せっせと集めているうさぎもいれば、その場でポリポリとおいしそうに、ほおばっているうさぎもいます。そしてあっというまに、あんなにきれいに並んでいたにんじんが、すっかり食べつくされてしまったのです。
そのよく日、昨日の少年が様子を見に行ってみると苦労して育てたにんじんが、何者かにすっかりあらされているではありませんか。本当は、このにんじんを売ったお金で病気の母親の薬を買うつもりでしたが、これではどうすることもできません。病気の母親の薬を買うことができずに落ちこんでしまいました。
その夜、おなかいっぱいになって幸せそうにねていたビットたちの夢の中に、真っ赤な顔をしたにんじん畑の神様が現れました。「一度助けてもらったのに、大事なにんじんを食いあらしおって。何ておん知らずなうさぎめ。罰としてうさぎどもの長いしっぽを短くしてやる」
次の日の朝、目覚めたビットたちは夢のとおり、しっぽが短くなっているのに気付きました。そして二度と、これにこりて人の畑などをあらすような悪さや、いたずらをしなくなりました。
こういったことから、うさぎのしっぽはずっと、今も、短いまんまなんですよ!
一度許してもらったその気持ちに感謝せず、仲間を誘い、にんじんを長いしっぽで掘り、食べつくしたうさぎたち。その気持ちを改めようと、赤い顔のにんじんの神様が長いしっぽを短くしてしまった。こらしめられないと気づかないことも案外多いのです。
(以上ニュース和歌山より)
しげやん0710談:
アラスカン・クーリカイ |
「勧善懲悪」「因果報応」など、「いいことはいい!、悪いことは悪い!」 大人が喜んで観る「水戸黄門」の世界は、子供達の中にはなお生き続けているのではないでしょうか?
このまま純な心で大人になって欲しいです。子供たちはクリスマスのサンタクロースより「タイガーマスク」の伊達直人が好きなようで、その証拠に子供の伊達直人まで登場するではありませんか!
政治の世界の(ア)菅直人はどうかな? 所詮伊達直人にはなれないだろうよ!
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