自分が住んでいる処の文化水準を測る方法は、いろいろあると思うが、例えばの話、全てのモノには「フロー」と「ストック」という視点からの考え方がある。
言うなればフローは流れ、例えば収入、一方ストックとは蓄え・資産の類いである。収入は少なくても実家には資産が沢山あり、金には困らないとか、逆に収入は多くても金使いが荒くて、散財するので、保有する資産は少ないといったこともある。 このように経済学では「フロー」と「ストック」の見方で、でかなりの分野のことを説明できる。
また「民度」という見方があり、その点からすると、地元・和歌山県は順位が随分下位である(民度度とはある地域に住む人々の、生活水準や文化水準の程度だそうだ。
また生活水準とは、ある社会階層の平均所得から得られる財貨やサービスの多寡もしくは労働条件・雇用機会等の労働環境、社会保障や教育などの公共サービス、公害・治安などの生活環境によって測定される。
文化水準となると話がまたややこしくなる。文化の程度。特に、ある地域・社会の文化の総体的なレベル。しかし総体的なレベルとあるから、人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体、のほうの文化のことだとわかる。
「民」という文字が入っているので、どうしても文化水準の方にばかり目が向いてしまうが、民度の問題には、社会環境の問題が多分に含まれている。
文化的水準の高さは非常に大切だが、これは社会環境を侵害してはいけない。 身の安全こそが最優先されるべきものであるからだ。身体の安全を保障されることこそ民主主義社会において一番大切なことである。
これを冒してまで言論の自由を認めることはあってはならない。生活水準の低下は文化水準の低下に先立つからだ。
しかし、高度に洗練された文化芸術の類はどうであろうか、ギリシャでは遺跡が度々発掘され、これらを保護するため宅地開発が進まない。オーストリアは芸術文化に多大な額の国税を投入している。
これらの国民が文化芸術保護のため、社会保障をあきらめているのかは不勉強なのでわからなかった。だが、少なくともこれらの文化財を手放すか、国が関与をあきらめればその分、公共事業が充実することは間違いなく言える。
さきに、結論ありき、と言う風になったが、わたしがこれから紹介しようとしているのは、和歌山県の教育委員会が、このほど発表した新たな「文化財」についての話なのである。
その前置きとして、和歌山県が保有する「国宝・重要文化財」の数は、和歌山県の人口が全国に占める比率から見れば、東京都よりスゴイと言えよう。
上で長々述べてきた理屈からすれば、現在は収入は少ないが、その割りからすれば資産(文化財)は沢山保有していることになる。
まづ、「国宝・重要文化財」保有統計の表を掲げるので、それと全国人口に対する和歌山県の人口比率と比べてみると(和歌山県の人口比率は全国の0.78%に対して、国宝・重要文化財の保有率は3.03%と人口比率に比べ格段に大きい(3.9倍)、これは過去の歴史的遺産が如何に大きかったかを物語る。この意味から紀州は古来からの遺産に如何に恵まれた土地であるかを如実に示している)、わたしが説明してきたことが得心できようと云うモノ。そういう意味を込めて、これからの話をお聴き下さい。
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・和歌山県指定文化財に和歌浦・玉津島神社が所有する「神輿(しんよ)」、「阿弥陀如来坐像(道成寺」)や岩内古墳(御坊市)「出土品」等々・・・!
観光立県を目指す和歌山県は観光開発とともに文化財にも大きな関心を寄せる !
・県指定文化財・あらたに4件
和歌山県教育委員会は、県指定の文化財に、和歌山市の玉津島神社が所有する「神輿(しんよ)」と呼ばれるみこしや、日高川町の道成寺(どうじょうじ)が所有する、木造の「阿弥陀如来座像(あみだにょらいざぞう)」など、4点の美術工芸品を新たに指定することを決めました。全てが美術工芸品。今回の指定により、県指定文化財は全571件になった。
和歌浦エリアで指定を受けた玉津島神社の神輿は、平成19年に市民が中心となって広く寄付金を募り、文化財としての価値を損なわないようにと京都の専門業者に依頼して修復したもの。
神輿は屋蓋(やがい)・身舎(もや)・基壇(きだん)で構成。身舎背面の内壁に刻まれた銘文から、明和4年(1767)に京都の神輿師・桒嶋作右衛門によって作られたと分かる。
また『紀伊国名所図会』にも、近衛(このえ)家の寄付であったことが記され、屋蓋には金蒔絵で近衛家の家紋「近衛牡丹」があしらわれている。
同神社は和歌の神としてあがめられ、江戸期に大々的に復興。朝廷との結び付きも深めた。天皇や公家が同神社に和歌を奉納する慣例が興り、近衛家もそれに関わっていたとされ、文化遺産課では「和歌の神への信仰を背景に、都の天皇・公家との交渉が継続した近世玉津島の在り方を伝える重要な遺品」としている。
指定を受け、同神社の遠北明彦(あちきた・はるひこ)宮司(87)は「立派な指定をいただき、修復に力を注いでくださった方々には感謝の思いです。これからも大切に守り、後世へ伝えていければ」と話している。
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(日高地方)
道成寺の「阿弥陀如来座像」は、江戸時代中期の宝永(ほうえい)6年(1709年)に、日高地方出身の大坂商人・日高屋次郎右衛門利當(ひたかやじろうえもん・としただ)の願いで建立されたもので、阿弥陀がまだ修行中の頃、長い間思索を巡らせて、髪が長く伸びた様子をイメージした「五劫(ごこう)」の姿を像にしたもので、全国でも十数例しかみられず、和歌山県では唯一の貴重な五劫阿弥陀像として注目されるものです。御坊市の岩内(いわうち)遺跡の2つの古墳から出土した、太刀や鉄剣、鉄槍、曲玉(まがたま)などの遺物と新宮市の阿須賀(あすか)神社境内から出土した、御正体(みしょうたい)や銅鏡、銅銭なども新たに指定されることが決まりました。
また、道成寺にある木造の「釈迦如来座像(しゃかにょらいざぞう)」と、「両脇侍立像(りょうきょうじりつぞう)」、それに釈迦如来座像の両手首の先のパーツが追加指定されることも決まりました。
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・2012年11月10日御坊歴史再発見シンポジューム「有間(皇子)と(藤原)宮子(聖武天皇御生母)」が開催された。
基調講演を同志社大学の名物教授でいまは名誉教授である森浩一氏、パネルデスカッションのコーディネターに松平定知氏(元NHKアナウンサーで歴史番組を担当)等錚々たるメンバーが顔を揃えているではないか!
同シンポの案内には、紀伊の地で刑死した孝徳天皇の皇子「有間皇子」と、文武天皇夫人で聖武天皇の御生母「藤原宮子」、有間皇子が眠ると説かれる「岩内1号古墳」と、宮子姫の創建由来がある「道成寺」。二人が生きた7世紀から8世紀は、大化の改新や壬申の乱などの権力争いを経て”日本”として律令国家構築へ向かった時代。
岩内1号古墳と道成寺、双方が日高川を挟んで南北に存在するー御坊・日高の地から古代を紐解くー!とあるではないか?
森浩一氏は古墳や考古学・古代史の権威、その権威ある学者が御坊の「岩内1号古墳」を有間皇子の墓だと云われるのならば海南藤白が有間皇子縊られた地であるとする説が消え去るではないか?
森浩一氏 |
・森浩一氏:考古学者・古墳の地名呼称提唱 ・同志社大学教授・同名誉教授・ 第22回南方熊楠(みなかた・くまぐす)賞受賞(和歌山県田辺市、南方熊楠顕彰会主催)。
「考古学は地域に元気を与える学問でなければならない」を信条に、環日本海学や関東学、東海学など、地域活性化に寄与する学問として考古学の役割を確立。「三角縁神獣鏡国産説」を提起して邪馬台国論争を深め、天皇陵と呼ばれる古墳の呼称を地名で呼ぶよう提唱した。
著作は一般書だけで100冊を超えるほか、講演活動を通じた市民への啓蒙(けいもう)、遺跡保存への活発な働きかけなどが熊楠の生き様に通じ、賞にふさわしいと評価された。
銀装大刀(上)など1号墳の出土品
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(新宮地方)
美術工芸品考古資料として指定される「熊野阿須賀神社境内出土品」は、御正体(みしょうたい)191点と一字一石経136点など合わせて343点で構成。御正体は新宮市の文化財に指定されていて、市教育委員会が県文化財指定に向けて調査し、申請していた。
御正体は懸仏(かけぼとけ)とも呼ばれ、木や銅の円板に仏像を浮彫りし、掛けられるようにしたもの。阿須賀神社出土のものは、昭和34年9月の伊勢湾台風の後、倒木の下から発見され、翌35年に発掘調査が行われた。様式から鎌倉時代のものを中心に、平安時代末期から室町時代初期までのものが見つかっている。阿須賀神社の本地仏(※)である大威徳明王(だいいとくみょうおう)像が90点ある。
像の製作技術は、線刻、墨彩、毛彫、金銅鋳出(こんどういだし)などさまざまで「本地垂迹(すいじゃく)思想に基づいた奉納品として、中世以前の熊野信仰の隆盛を示す貴重な例」とされた。 出土品を収納、一部を展示している新宮市立歴史民俗資料館(市内阿須賀)の管理人、田中伸男さん(70)は「県の文化財になるということは、格が一段上がるということでうれしい。このような形で発見されているのは、全国でも数例の貴重なものと聞いている。個人的には国宝に指定される価値があると感じている。これを機に、多くの人に見に来ていただければ」と喜んだ。 |
「御正体(みしょうたい)」 |
※ 仮の姿で現れた神の、元の姿である仏のこと。日本の神々は、実はさまざまな仏が化身として現れた「権現」であるとする本地垂迹説による。
(以上)
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