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2013年6月3日月曜日

「京鹿子」咲く、四季の郷公園のバラ園近くで!序でに古典モノから「京鹿子娘道成寺」を・・・!

 いまの時期、いろんな花が咲き乱れて一斉に咲き誇ることを「百花繚乱」と呼ぶが、この「百花繚乱」を検索すると、なんと数多くの項目が出てくるではないか? 

 

 その様子、まさに「百花繚乱」の様相を呈する、といった処。花だけではないの・島倉千代子に言わせると、オンナだって”人生いろいろ 男もいろいろ 女だっていろいろ 咲き乱れるの♪”と云うことらしい。

 

 序でにいうと、「寝乱れ」ということだってある。そういうの人生の土産に見てみたいものだ!それだから、◯◯やんはHで、人が悪いということになっている!女性の方々、◯◯やンの前では決して?しないように、失礼しちゃうわ・・・!
では、本題に戻って・・・

花に「京鹿子」という植物があることは、よく知っており、いま地元和歌山市の「四季の郷公園」では、バラや京鹿子が今を盛りと満開を迎えているのをTV報道でみたが、その一方で古典モノ「道成寺モノ」の「京鹿子」がかぶせられた「京鹿子娘(二人)道成寺」が歌舞伎の世界では有名外題で、役者達はこの「京鹿子娘道成寺」を演じるに先立って、わざわざ道成寺詣りをして興業の成功を祈願することが通例になっており、若くして死を遂げた中村勘三郎をして○○興業時は地元道成寺で演じたいとの、エピソードを遺して、ついぞ演じることなく、あの世に逝ってしまったことは誰もがよく知る処であるが、さぞかし”鐘に恨みはないけれど・・・”と、演じ遺したことを恨めしく思っているに違いない

そこで、今回は趣向を替えて、植物の「京鹿子」花々が咲き乱れる「百花繚乱」そして「道成寺モノ」と呼ばれる古典モノの外題「京鹿子娘道成寺」と、盛り沢山の内容だが、それらをさ~っと水が流れるように疾走して紹介仕るといたそう!なにしろ、娘道成寺はクライマックスでは、一人で一時間モノ長時間を踊りきらなければならない難行・苦行の演じモノなので有名だから・・・!

・「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)」

様々な種類の花が色とりどりに咲き乱れる様子。転じて、多数の優秀な人材、美人が一堂に会する状況をいう。そして下のように、この名称を使った作品が数多くあるのが面白い・。

 ・ちあきなおみの楽曲。 - 紅い花/百花繚乱
・上記の楽曲を収録したアルバム。 - 百花繚乱 (アルバム)
2008年公開の日本映画。 - 大奥 百花繚乱
ホビージャパンメディアミックス企画、およびアニメ作品。 百花繚乱 SAMURAI GIRLS
・日本プランテックのアダルトゲーム作品。 - 百花繚乱 (ゲーム)
・しなのゆらの漫画「〜百花繚乱〜 戦国乙女」。原作は平和パチンコCR戦国乙女」。
アイドリング!!!の楽曲。-百花繚乱アイドリング!!!
百花繚乱 (ネットタレント) - インターネットを中心に活動するタレント。

 では、まづ花の「京鹿子」から・・・!

・「京鹿子」が咲く、四季の郷公園のバラ園近くで!

和歌山市の四季の郷公園で、バラが見ごろを迎える中、京鹿子(きょうがのこ)の紅色の花が梅雨空のもと、満開となっています。

満開の京鹿子
満開の京鹿子

京鹿子が咲いているのは、同じく満開となっているバラ花壇近くの一角で、ひっそりと上品
花の時期を迎えています。

京鹿子は、バラ科のシモツケソウの仲間で、初夏に紅色の小さな花が密集して咲きます。
県内では、日高川町の道成寺(どうじょうじ)境内に、歌舞伎の演目「京鹿子娘道成寺
(きょうがのこ・むすめどうじょうじ)」にちなんで植えられています。

満開のバラ(露地バラ園)
満開のバラ(露地バラ園)

また、バラは、四季の郷公園北側の「露地(ろじ)バラ園」や「斜面花壇」で満開となってい
ます。
イングリッシュローズやフロリバンダーなどが中心で、あわせておよそ800株が栽培され、
赤やピンク、白、黄色など色とりどりの花が咲き競っています。梅雨に入って雨の日も多く
なっていますが、訪れる人が多い人気の一角です。バラは、雨に当たって、花びらを落と
しているものもありますが、まだしばらくは花を楽しめそうです。
斜面のバラ花壇
斜面のバラ花壇


では、万葉集歌初め古典モノに強い◯◯提供番組「道成寺」!
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(「謡曲」「長唄」「歌舞伎」の「京鹿子娘道成寺」の世界)
本当は怖い「道成寺」~「京鹿子娘道成寺」



1)道成寺説話について

 

道成寺所蔵「安珍・清姫」絵巻物(絵解き)

「日高川」を渡ろうとする清姫


能「道成寺」

 謡曲「道成寺」は「本朝法華験記(ほんちょうほっけげんき)」第129紀伊国
牟婁(むろ)郡悪女の話などの道成寺説話を本説としたものですが、説話を
そのままに劇化したものではなくて、その後日談の形になっています。
紀州日高寺(道成寺)で長らく無くなっていた釣鐘を再興することになりました。

その鐘供養の日に、僧侶は「仔細あって女人禁制なので決して一人もいれて
はならない」と能力(のうりき・寺男)に命じます。ところが、そこへひとりの女性
がやってきて拝ませてほしいと頼みます。能力は女が白拍子だと聞いて、舞を
舞えばなかに入れようと言います。白拍子が舞ううちに鳥帽子を落とすと、
鐘が落下して白拍子は鐘のなかに隠れます。

やがて、鐘が上がるとなかから蛇体が現れるのです。僧侶はかつてこの
道成寺で起こった不思議な出来事を語り始めます。僧侶がこの日の鐘供養を
女人禁制にしたのはそれが理由であったわけです。

ところで、この女性(白拍子)ですが、かつてその昔に鐘に巻きついて山伏を焼き
殺した真砂の庄司の娘の怨霊(歌舞伎の場合には「白拍子花子実は清姫の霊」)
であるという風にふつうは理解されていると思いますが、よくよく見ると能の台本に
はそういう事は書いていないのです。
ということはこの女性は、怨霊なのではなくて・「ただの女性(白拍子)」であると解釈
することもできるのです。

 そう考えると、謡曲「道成寺」の別の面が見えてくるようです。
まず僧侶がわざわざ「存ずる仔細のある間、供養の場へ、女人かたく禁制と相触れ
候へ」と言うのは、かつてこの道成寺で起こった不思議な出来事を考えると、儀式の
なかに女性が入ると因縁のある鐘の呪力が反応してまた事件が起きかねない、と
心配をしたからでありましょう。

はたして心配した通りに事件が起こってしまうわけですが、ここで鐘の呪力が普通の
女性をも魔性(蛇体)に変えてしまうと考えることも可能ではないでしょうか。
もともと紀伊国牟婁郡悪女の話のようなある意味で不道徳な・業が深い・陰惨な
物語が説話(仏話)として語り継がれますのは、こういう話を人々に語り聞かせる
ことで、聞く者の業の深さを 自ら戒めさせようとするものなのです。(こういう説話
は女性を対象にして説かれたものでこの時代の女性が社会からどう見られていた
かという問題にもなるのですが、このことは本稿では触れません。)道成寺説話と
いうのは「このような業の深みに陥ることは誰にでもあるものだ・自分のなかにも
どこかに潜んでいるものだ」ということを言っているわけです。

 だから、謡曲「道成寺」において、この鐘供養という大事な日に因縁の鐘がふた
たびその呪力を蘇らせて普通の女性をも魔性に変えかねないということも十分に
心配されることであるし、あるいはそういう鐘の呪力に引き寄せられるようにして
普通の女性がやって きたのだ、ということも考えられます。
鐘供養の日に再びあの魔性(蛇体)がやってくるというよりも、普通の女性が鐘の
呪力によって魔性に変えられてしまう方が、ずっと怖いと思いませんか。しかも、
それは単に女性の外面が変わってしまったのではなくて、女性の心の奥底に潜ん
でいた何物かが鐘の呪力で拡大増幅されてその女性の外面を 内から変えてしま
ったものなのだとしたら、もっと怖いと思いませんか。道成寺説話が説いているよう
に「このような業の深みに陥ることは誰にでもあるもの・自分のなかにも潜んでいる
もの」なのですから・・・。

2)鳥帽子の意味

ところで、この鐘供養の日に現れた女性は白拍子でした。能力は拝ませてやりたい
が・供養の場へ女性が入ることはかたく禁止するとのことで・それはできないと言う
のですが、女性は「いやこれは余の女人とは変り候。これはこのあたりに住む白拍子
にて候。」と答えます。すると能力はそれでは自分の一存でちょっと拝ませてあげるから・面白く舞いを舞ってみせなさいというのです。
僧侶が「女人禁制」」と言っているのに、能力は意外と簡単に女性をなかに入れてしま
うのです。どうしてなのでしょうか。女性は自分は「余の女人ではない」・つまりふつうの女性ではなくて白拍子であると言っています。

なるほど白拍子ならば許されるだろうという風に能力はどうやら解釈したようなのです。どうして白拍子なら許されると能力は考えたのでしょうか?
「白拍子」というのは傀儡(くぐつ)から出たものとも言われ、女性が白い水干(すいかん)に立烏帽子(たてえぼし)・白鞘巻(さやまき)の脇差を指すという男性のなりをして男舞(おとこまい)を舞ったりするものでした。宴に加わって舞いを舞い、歌をうたったりしました。白拍子は平安後期・院政期ごろから現れて、鎌倉時代に入ってから流行しました。
白拍子については、男性のなりをして舞を舞う・新奇な趣向の高級遊女であると見ても間違いではないですが、女性の側から見ますと、これは自立した意識を持った職業婦人であって・ある意味で女性の枠を逸脱して男性に近づこう(あるいは対等に振舞おう)とした女性たちであったとも言えます。立烏帽子はそのような白拍子の象徴なのです。鳥帽子というのはこの時代の青年男子の正装でした。つまり、鳥帽子を着けた白拍子というのは性別の枠を乗り越えて男と対等に生きていこうという意識のある女性だとも考えられます。
男装すれば女性は性別越境して女人禁制の枠をも突破できるというような考え方は実際にあったようです。「後宇多院御幸記(ごうだいんごこうき)」によれば、御宇多法皇が正和(しょうわ)2年(1313)に高野山に御幸された時のこと、法皇をひとめ見ようと、近隣の女性たちが集まってきて、彼女たちは男子の姿をして女人禁制の高野山へ入ろうとしたのだそうです。この時、にわかに雷鳴轟いたので行人衆が杖をもって女性たちを追っ払うと、たちまち天は晴れたということです。
世阿弥の作とも言われる謡曲「多度津(ただつ)の左衛門」では、高野山にいる父に会うために、烏帽子と長絹(ちょうけん)を着て男装して不動坂を登る姫と乳母が登場します。ここは女人禁制 であるから入山はできないという聖(ひじり・・・実は父親である)に対して、乳母は、高野山は女人禁制だと知っているからこそ男の姿になったのだと答えています。
このことからすると、謡曲「道成寺」において白拍子と名乗る女性を能力が簡単になかに入れてしまうのは、白拍子が性別を越えた存在である(だから女性ではない)から禁忌(タブー)には触れないと能力が解釈したという風に考えられましょう。

それで、能力はちょうどそこにあった烏帽子を彼女に与えて、結界のなかに入れるのです。能の舞台ではシテの白拍子は後見座で鳥帽子を着ける物着(ものぎ)の後、女人結界のなかに入れます。( ここでは物着がひとつの儀式として重要な意味を持たされていることが分かります。ただし、流派によっては、鳥帽子を手渡されることで済ます場合もあります。)

 謡曲「道成寺」では、白拍子が鳥帽子を着けて踊っている時には何事も起こりません。しかし、踊りが進んできて白拍子が扇を振り上げて・鳥帽子を跳ねのけてしまうと、突然、鐘が落ちてくるのです。このことは男子の象徴である鳥帽子を 着けているあいだは性別は越えられており・したがって禁忌には触れなかったわけなのですが、鳥帽子を落とした途端に白拍子は女性に戻ってしまう・だから禁忌に触れて鐘が落ちるということであると解釈されましょう。

3)そして歌舞伎の「道成寺」へ

さて、ここで歌舞伎での「京鹿子娘道成寺」を見てみたいと思います。白拍子花子が登場すると、所化たちは色めきたって「白拍子か、生娘か」などと騒ぎますが、ここで言う「白拍子」というのは「遊女」というのとほとんど変わりません。

舞を舞い・歌をうたう高度な芸能者であった白拍子も、次第に変化して室町時代には性を売る要素の方が強くなってしまったのです。だから歌舞伎の「娘道成寺」では鐘供養の日に女人禁制を犯す禁忌の意味があまり伝わってきません。
乱拍子を踏んで、白拍子が鳥帽子を取り落としても鐘は落ちません。まだまだ踊りはつづくのです。
もちろん歌舞伎の「娘道成寺」では、白拍子は実は清姫の怨霊であるとはっきりと明記がされています。怨霊ですから、その本性を現すのは怨霊の都合次第なのですから、別に鳥帽子を落とすのがきっかけである必要はないわけです。
つまりこのことは、鐘自体には呪力はないということにもな ります 。

このように歌舞伎の「娘道成寺」の場合は、全体の最初と最後に謡曲「道成寺」の筋を借りているだけで、その間の部分はまったく本説とは関係のない歌舞伎レビューの踊りなのです。

謡曲「道成寺」にあった本当に怖い部分というのは、もう形骸化していてサラリとしてしまっています。しかし、そのような「娘道成寺」であっても不思議な瞬間が現出するのですから、まことに芸能というのは面白いものではありませんか。

あの『道成寺』の舞台をつくり出した江戸時代の劇場と観客の雰囲気は、桜の花のいっぱい咲いた中にやたらに美しい娘姿を踊らせて恍惚としていたので、日高川を泳ぎ渡って、鐘の中の男を焼き殺してしまう女の凄まじい執念などはどうでも良かったのでしょう

そういう理屈のない世界の馬鹿々々しい美しさ、気味の悪い美しさを菊五郎の白拍子はふんだんに持っていた。
菊五郎の『道成寺』を見ていてある老婦人が『こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい』という言葉のせっぱつまった実感は私にもうなづける。
菊五郎の『道成寺』はそういうものであった。」(円地文子「京鹿子娘道成寺」)
ここで円地文子の書いている菊五郎とは、六代目菊五郎のことです。
おそらくは昭和10年前後の菊五郎全盛期の「娘道成寺」です。この頃の菊五郎は頻繁に「娘道成寺」を踊っています。『こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい』という菊五郎の「娘道成寺」、それはかつて踊りに命を掛けた白拍子たちの魂が何かの形で乗り移ったようなものであったのかも知れません。
あるいは男性でありながら女性を演じなければならなかった女形の宿命と もどこか重なるものであるのかも知れません。
名作歌舞伎全集 第19巻 舞踊劇集 1 (19)
(参考文献)
細川涼一:「白拍子の男装・能の女装~中世芸能民の性別越境」(「逸脱の日本中世 (ちくま学芸
文庫)に収録)

・追記:昨年12月に、若くして亡くなられた中村勘三郎丈は、ことのほか道成寺を敬愛し、将来若し道成寺が演舞場を建立されることがあれば、自分に「こけら落とし公演」をやらせて欲しいと、道成寺貫首に懇請していたが、帰らぬ人となり持て余す多才な才能からみて、その死は余りにも惜しい。悔やみて、余りあるぐらい惜しい人を失った悲しみは深い!

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『京鹿子娘道成寺』(きょうがのこむすめどうじょうじ)
作品紹介
 
1時間近くを1人の女方が踊りぬく女方舞踊の大曲で、『娘道成寺』または単に『道成寺』と略されます。白拍子(しらびょうし)の花子が道成寺の鐘供養に訪れ、舞を次々に披露するうちに鐘に飛び込み、蛇体となって現れるという設定ですが、内容はいくつかの部分に分けられ、恋にまつわるさまざまな女性の姿を踊り分けることが主眼となっています。
歌舞伎には、「道成寺物(どうじょうじもの)」とよばれる作品群があります。これらの作品は、能の『道成寺』から、鐘供養に訪れた女性が舞を披露し、恨みの表情で鐘に飛び込む、という枠組みを取り入れています。「道成寺物」は、元禄年間[1688年~1704年]から上演されるようになりますが、それらの作品を集大成したのが、1753年[宝暦3年]に初代中村富十郎(なかむらとみじゅうろう)が初演した『京鹿子娘道成寺』です。
現在上演されるおもな「道成寺物」として、次の作品が挙げられます。
 
・ 『二人道成寺(ににんどうじょうじ)』
 ⇒ 2人の女方が競い合って踊る「道成寺物」
 
・ 『男女道成寺(めおとどうじょうじ)』
 ⇒ 女方と立役の2人で踊る「道成寺物」
 
・ 『奴道成寺(やっこどうじょうじ)』
 ⇒ 狂言師に扮した立役が踊る「道成寺物」
 
 
 
特徴的な表現
クドキ
「義太夫(ぎだゆう)」や「長唄(ながうた)」などの「音曲(おんぎょく)」の聞かせどころで、心情が訴えられている部分を「クドキ」といいます。舞踊では「クドキ」に、ゆったりとした振りを付けて見どころとしています。
この作品のクドキは、「長唄」の「恋の手習いつい見習いて」から始まる部分です。映像はそれの後に続く、「誰に見しょとて紅(べに)鉄漿(かね)つきょぞ」のくだりで、手拭(てぬぐい)を鏡に見立てて、紅を溶いて口に塗る振りが付いており、男に会う前の女心をしっとりと描いた場面です。
クドキの一場面 7代目中村芝翫の花子 『京鹿子娘道成寺』 1990年[平成2年]3月
舞台映像を見る
< RealPlayer : 3.6MB >

 
 
 
引抜 ひきぬき
花子は何度か衣裳を替えますが、中に「引抜」という手法を使って、舞台上で一瞬にして衣裳を替える場面があります。衣裳はあらかじめ重ねて着込み、仕付け糸で留めておきます。直前に後見[演技を補助する役割]が、留めてある仕付け糸を引抜き、俳優とタイミングを合わせて上に着込んだ衣裳を取り去ります。「引抜」を含めて目まぐるしく衣裳を替える演出は、観客の目先を変える意味があります。
引抜の瞬間 7代目中村芝翫の花子 『京鹿子娘道成寺』 1990年[平成2年]3月
舞台映像を見る
< RealPlayer : 3.2MB >
                              
 
 

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「道成寺」のバリエーションいろいろです。↓

=「二人道成寺 (ににんどうじょうじ)」=
=「男女道成寺(めおと どうじょうじ)」=
=「奴道成寺」(やっこどうじょうじ)」=
=「豊後道成寺(ぶんごどうじょうじ)」=
=「大津絵道成寺(おおつえどうじょうじ)」=
 

                                        以上

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