特別アドバイザー就任の桑田真澄氏が目指す道 コミッショナーに同情的! 6.28
“桑田流の生き方”に注目が集まっている”!桑田氏がつぎに目指すものは?
日本野球機構(NPB)は25日、統一球の改造問題を調査するため設置した第三者委員会のメンバーを発表。
意外だったのは、特別アドバイザーとして巨人などで活躍した桑田真澄氏(45)が選ばれたことだ。引退後は大学院に進み、最近は東大野球部特別コーチに就任。
またスポーツ界の体罰では論客ぶりも発揮している。今度は球界の暗部をえぐろうと、やる気満々。次に目指すのは監督か、それとも球界のご意見番か。あるいは、一足飛びにコミッショナーだったりして…。
25日の桑田氏は、東大指導後、トレーニングウエア姿のまま報道陣の前に姿を現した。
「ファンをがっかりさせたことは反省しなければならない。他の委員の方々と協議しながら調査したい」と語ったが、いまや世論の集中砲火を浴びる加藤良三コミッショナー(71)に対しては、意外に同情的だ。
加藤良三コミッショナー |
「コミッショナーは野球に情熱を持たれている方だと思う。名指しで批判され“責任を取れ”といわれていますが、日本のプロ野球はコミッショナーがそれほど実権を持ってやれている組織なのか? 決定権がありますか? この機会に課題を抽出し、今後組織としてどうあるべきかを突き詰めていかないと、問題は解決しない。みなさんもそう思うでしょう?」
確かに桑田氏の言うとおり、強力な指導力を発揮する米大リーグと違い、日本は“お飾り”。巨人・渡辺恒雄球団会長(87)らの影響力が強いともいわれる。
プロ野球界の「ドン」こと渡辺恒雄 |
ナベツネの云いたい放題 |
野球界全体の構造に切り込もうというのか。それにしても、桑田氏ほど波瀾(はらん) 万丈の野球人生を送っている男もいない。
1985年のドラフト会議では、早大進学を表明していた桑田氏を巨人が強行1位指名。
PL学園高の同僚、清原和博氏が涙を流した一件で、17歳にして“ヒール役”に。プロ入り後も、親族が桑田氏名義で土地売買に手を出したことから多額の借金を背負ったり、登板日漏洩(ろうえい)疑惑など、ダーティーイメージがつきまとった。
PL学園高の同僚、清原和博氏が涙を流した一件で、17歳にして“ヒール役”に。プロ入り後も、親族が桑田氏名義で土地売買に手を出したことから多額の借金を背負ったり、登板日漏洩(ろうえい)疑惑など、ダーティーイメージがつきまとった。
プロ野球界のボス!清原和博 |
しかし、そうした一方で緻密な投球術やトレーニング理論は、松坂大輔投手(大リーグ・インディアンス傘下3A)ら後輩の尊敬を集めた。独学で英会話力も身につけ、「ランニング中も単語カードを手にしていた」とも。そのほか、球界きってのワイン通という顔もある。
巨人に在籍した21年間で通算173勝。2007年には大リーグ・パイレーツに移籍し、0勝1敗に終わったとはいえ“元メジャーリーガー”の肩書も手にした。
大学には行かなかったが、09年に早大大学院のスポーツ科学研究科社会人1年制コースに合格。1年後、首席で修了した。「大学院に行っていなかったら、(特別アドバイザーを)引き受けられなかったと思います。
コンプライアンス(法令順守)とは、ガバナンス(企業統治)とは何かも勉強させていただいた」と、今回の就任にも役立ったことを強調した。
さらに、ことしからは東大特別コーチとして“最高学府ブランド”まで手に入れている。
ここまで上りつめた桑田氏は今後、どんな立場で野球に携わっていくのだろうか。
長嶋元監督とともに国民栄誉賞受賞した 松井秀喜氏、受賞後安倍、総理に在日を 理由に抗議が殺到した! |
大学院合格の際には、「30歳くらいまでは監督が最終目標だったが、優勝しても野球界を変えられない。その上の人が動かしているから」と発言したこともある。
特別アドバイザーとしてコミッショナーの権限強化に携わり、将来的には自身が就任?! 桑田氏から目が離せなくなった。
一方、長嶋元監督との師弟コンビで「国民栄誉賞」受賞の、松井秀喜氏の方はどうか?
試練をプラスに転化して、組織に力を与える松井秀喜の“献身力”が評価!
「日米通算507本塁打を放ち、ワールドシリーズでMVPを獲得したという偉大な実績があるというのに、彼が自分の記録や殊勲を自慢気に語っているところを耳にしたことがありません。常に己を殺し、チームのために行動してきたからでしょう。彼にとっての喜びは、周囲の人たちや組織に大きなパワーを与えること。まさに〝献身力〟の光る選手でした」
ヤンキース時代には「僕がヒットを打って勝てないより、三振しても勝ったほうがいい」と明言し、チームメートや米メディアからもその献身が一目置かれていた。
■「努力できることが才能」という父の教えを忠実に
「また、彼は試練をプラスに転化できる男です。高校時代、甲子園で5連続敬遠された時を振り返って、『あの日があったからこそ、強くなれた』と語っていたのが特に印象的。左手首の骨折やヤンキースからの放出、マイナー契約といった数々の逆境でも、決してクサることなく日々の努力を続けてきたのは、マイナスを糧にして前進する彼らしさが出ています」
松井氏は小学3年生の時、父・昌雄さんから、「努力できることが才能」と諭され、それをプロになってからも忠実に守り通した。2度の両膝の手術で〝限界説〟が取り沙汰されたものの、現役続行にこだわったことは松井氏の真骨頂といえよう。
記録や記憶だけでなく、人徳者としても名を残すことになった松井氏。野球人としての第2の人生でも、恩師を超える活躍を期待したい。
※09MLBワールドシリーズ(7回戦制)、ニューヨーク・ヤンキース対
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