特別展「紀州漆器のまち黒江~きて・みて・はっけん~」開催
(平成25年6月1日~平成26年3月30日)
「黒江塗のいしづえ」「伝統漆器と現代漆器づくり」「黒江の町形成」「町並みと保全」のコーナーに分けて黒江塗のあゆみと黒江の町の魅力について紹介しています。
また、「黒江の町並み風景」も写真で展示しています。「紀州漆器のまち黒江」の新しい発見につながれば幸いです。是非、お越しください。
黒江の町並み
黒江の町並み
渋地椀
膳
日時
平成25年6月1日から平成26年3月30日まで午前9時から午後16時30分まで
入館料
無料休館日
月曜日、火曜日及び12月29日から1月3日- 海南歴史民俗資料館
電話:073-487-3808
ファックス:073-487-3808
メール送信:rekimin@city.kainan.lg.jp - --------------------------------------------------------------------------------------------------------
- ・特別展「紀州漆器のまち黒江~きて・みて・はっけん~」開催に先だって、5月30日海南市「歴史民俗資料館」前山館長さまに、わたしの自宅までお越し願った。
- というのは、わたしの親父は戦前家業の漆器問屋を営み、大阪ミナミの立売堀に大阪店を構え、主に百貨店相手に漆器を納入、百貨店側の要請があり、全国どこの漆器産地の品物も納められる体制を引き、商売をしたが、やがて第二次世界大戦に突入、漆器などの平時産業を続けられる訳には行かずに、徳島に協同で軍需工場を経営、ベークライトで飛行機の酸素吸入器を製作したが、徳島大空襲の時被爆し、工場は跡形もなくなるほど被爆したが、軍需産業は国家の要請で再建し製造を続けたが、やがて終戦、そのあとは工場の運営を如何にしてゆくか頭を悩ましたが元は漆器問屋、そこで軍需産業で培った樹脂成形を漆器の木地に活かし、輸出を目論んだが、その当時のベークライト素材は品質が悪く、食器に熱いモノを注ぐとホルマリンかクレゾール臭が生じ食器としては不向き、いろんな金型をつくっていろんな製品を拵えたが、最終的に断念した経緯がある。樹脂成形の金型制作費は相当高価でもあった。
- その後、樹脂の品質向上により「黒江の漆器」は多量生産型の樹脂素材がメインとなったが、親父は樹脂素材で漆器を製造使用としたベークライト木地のパイオニア、昭和56年には産経新聞が「新紀州産業人国記」シリーズに「うるしの唄」として3回にわたって新聞に掲載された。
いまでは、地元黒江でもこの話を憶えておる人もおらなくなり(親父は1900年生まれで約30年前死亡、同年代の人は同じ頃までに亡くなっている)、全国漆器業界にベークライト素材のパイオニアとしての親父の存在が忘れられようとしている現在、黒江の「紀州漆器の歴史の一コマ」として海南市「歴史民俗資料館」さんには、切角の機会だけにお伝えするのが大切だと考え、かれこれ約2時間に亘って、前山館長さんに新聞掲載資料をお渡しし、またベークライト素材の漆器をお見せしたところ、大変ご興味を示された。
今日6月1日から特別展が開催されるのに併せて、「黒江漆器の歴史」の一コマをブログアップに及んだ次第です。産経新聞に掲載されたコピーは字が細かく読み辛いと思いますので、荒筋だけでも紹介したく、ここに掲載したよう次第です。
・産経新聞掲載「新紀州産業人国記」・「うるしの唄」(昭和56年4月掲載・3回シリーズ)
(クリックすれば拡大します 大きくしてご覧下さい)
以上
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