ブログ アーカイブ

2012年10月17日水曜日

ウオーク万葉&ミュージカル「小栗判官ものがたり」(10/20)他のご案内


 
 
10月の6.7.8日の3連休や13.14日には地元和歌山市と海南市で神社の秋祭り、学校の運動会開催その他いろんなイベントがあり、それぞれ多くの観光客で賑わいを見せました。
これから先の11月にかけても展覧会等いろんな催しが予定され、われわれを愉しませてくれます。

 これらの中から今回は10/20ウオーク万葉&ミュージカル「小栗判官ものがたり」(有間皇子まつり共催)と11/11に祀られる悲運の皇子「有間皇子まつり」についてご紹介することにします。
 ウオーク万葉は万葉集に詠まれた故地である海南市内の歴史ウォークとミュージカル鑑賞を合わせたイベントで今年で3回目を迎えます。
ウォークは「かいなんの歴史を訪ねて~黒牛潟から漆器の町を歩く」がテーマで、午前8時半にJR海南駅を出発。柿本神社や栄通り商店街、中言神社、浄国寺などを回り、のこぎり型をした黒江の町を散策し、県立自然博物館まで歩きます。黒江の語源であるいにしえ「黒牛潟」は多くの万葉人に詠まれ、歌から当時の姿が偲ばれます。また詠まれた万葉歌の石碑が建てられています。

黒江・中言神社

中言神社境内に建つ万葉歌碑

黒牛茶屋
 
黒牛茶屋駐車場にある海南の万葉歌プレート



黒江の町並み(路地)

県立自然博物館玄関
そこから車で和歌山市和歌浦南にある万葉館へ移動。ここは山部赤人の歌で知られる和歌浦の一角、片男波に所在する。

 ” 若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る ” 山部赤人


片男波・万葉の小径

片男波・万葉館
 
 午後3時からかいなん市民劇団KCMによるミュージカル「小栗判官ものがたり」を見る。
そして11月には地元海南市にある熊野古道で五躰王子の一つ「藤白神社」では毎年11月11日の「有間皇子まつり」が祀られる。この催しに関連して2001年に誕生した海南市のアマチュア劇団「KCM」は主として有間皇子をテーマにした演劇を公演した来ましたが、万葉の故地にちなんで「万葉ウオーク」と演劇をセットにして開催することになり、今年は10月20日に熊野で蘇った「小栗判官」からウオーク万葉&ミュージカル「小栗判官ものがたり」を和歌浦片男波「万葉館」で公演することになりました。
そこで、前置きとして小栗判官について伝説「小栗判官」を少し学んでおきましょう。



大坂から紀州にいたる街道を紀州街道・熊野街道というが、説教浄瑠璃の小栗判官が引かれた車に乗せられて運ばれた道も同じで小栗判官にちなみ別名「小栗街道」ともいう。

◆説経節にみる小栗判官伝説
正本として、1675年(延宝3年)「おぐり判官」(作者未詳)、年未詳「をくりの判官」(佐渡七太夫豊孝)その他がある。
鞍馬の毘沙門天の申し子として生を受けた二条大納言兼家の嫡子小栗判官が、ある日鞍馬から家に戻る帰路、菩薩池の美女に化けた大蛇の美しさに抗し切れず交わり、妻としてしまう。
大蛇は懐妊するが、子の生まれることを恐れて隠れようとした神泉苑に棲む龍女と格闘になる。
このために7日間も暴風雨が続き、小栗は罪を着せられ常陸の国に流された。この場所にて小栗は武蔵・相模の郡代横山のもとにいる美貌の娘である照手姫のことを行商人から聞かされ、彼に頼んで文を渡す。照手姫から返事を受け取るや、小栗は10人の家来とともに、照手姫のもとに強引に婿入りする。これを怒った横山によって、小栗と家来達は毒殺され、小栗は上野原で土葬に、家来は火葬にされる。照手姫は相模川に流され、村君太夫に救われるが、姥の虐待を受け、千手観音の加護により難を逃れたものの人買いに売り飛ばされ、もらわれた美濃国青墓の万屋でこき使われる。
一方、死んだ小栗と家来は閻魔大王の裁きにより「熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができる」との藤沢の遊行上人宛の手紙とともに現世に送り返される。餓鬼阿弥が小栗の墓から現われたのを見た上人は手紙を読み、小栗を車に乗せると胸の木札に「この車を引くものは供養になるべし」と書きしたためた。
多くの人に引かれた車は美濃の青墓に到着する。常陸小萩の名で働いていた照手姫は小栗と知らずに5日間に渡って大津まで車を引き、ついに熊野に到着する。
湯の峰温泉「つぼ湯」

熊野・湯の峰温泉の薬効にて49日の湯治の末、小栗の業病は完治し元の体に戻ることができた。
その後、小栗は京に戻り天皇により死からの帰還は珍事であると称えられ、常陸・駿河・美濃の国を賜ることになる。また、車を引いてくれた小萩を訪ね彼女が照手姫であることを知り、姫とともに都に上った。やがて小栗は横山を滅ぼし、死後は一度死んで蘇生する英雄として美濃墨俣の正八幡(八幡神社)に祀られ、照手姫も結びの神として祀られた。



団KCMは・・・2001年に和歌山に誕生し、その後『きのくにミュージカル』と改め、‘有間皇子’をテーマとした公演を行ってきました。2010年6月に海南市のアマチュア劇団『KCM』として生まれ変わり、同年11月に公演した『―万葉ロマン―有間皇子』では、地元海南で300人近い動員数を集め好評を得ました。
2011年には『葉っぱのフレディ』『大空への翼』『小栗判官ものがたり』と3作品のミュージカルを公演し、現在も和歌山にゆかりのある作品を中心に和歌山から発信できる舞台作りを目指して活動しています。

              ◆                            ◆

11月11日・「有間皇子まつり」


有間皇子神社
有間皇子肖像画

有間皇子墓碑&歌碑

有間皇子史跡案内板

                                                  以上

0 件のコメント:

コメントを投稿