「紀州雛」
そこで今回は、かつらぎ町の真ん中を東西に流れる「紀の川」の万葉に詠まれた名勝「妹(いも)山」「背(せ)の山」を中心にして、かつらぎ町を詠んだ万葉集歌を紹介しよう。
妹背とは言うまでもなく「夫婦」のことである。妹山、背山を詠んだ句はきょうの「いい夫婦」に日にはピッタだろうから、またこの辺りには妹背姓を名乗る家が多い。おそらく「妹山」「背山」から採ったのだろう。
【万葉の道 万葉の里】
紀の川の悠久の流れに沿って、紀伊の国を往来した万葉人が郷愁と憧れを胸に多くの歌を残した南海道の絶景。
万葉集にも多く詠まれた水墨画のように美しい船岡山や妹山・背山は、歌枕の地として変わりない風景をとどめています。
いくとせ花そえる歌碑に、遙かいにしえの人々が旅の道すがら歌を詠んだ情緒が伝わってきます。……
万葉集には、かつらぎ町の「背の山・妹の山(妹背の山)」が15首も詠まれています。
これは万葉集では茨城県の筑波山の25首に次いで2番目に多い歌数です。
万葉時代をはじめ古代には、女性からみて愛しい人(夫・恋人)を「背(せ)」、男性からは「妹(いも)」と呼びました。遠くふるさとに愛する人を残し、その人を恋しく思いながらの異国での旅の途中、仲良く並んでいる妹背の山を見て「羨ましいことよ」と歌っています。
今からおよそ1350年前「大化の改新」の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(かつらぎ町の背山)と定められました。
兄とは、兄の君(背の君・兄弟)を表し妹も妻・娘への敬称である。兄山(背山)は二つの峰がなかよく並んでいるので、妹山・背山(妹背山)といわれています。
また、紀の川をはさんで左がわの台地のような山を妹山、それに対して右がわの山を背山と呼び、おたがいに向かい合っている情景から妹背山と見立てています。
いずれにしても、万葉の旅人は紀伊の国のむつまじい妹背山を眺めて、ふるさと大和の夫婦山・・・「二上山」を思い出させ郷愁に駆られました。
「妹背の山」を詠んだ歌碑
”妹に恋ひ 我が越え行けば 背の山の 妹に恋ひずて あるがともしさ”
【船岡山】
紀の川に浮かぶ小島で、中山とも呼ばれている。平安時代、関白藤原頼道が高野参詣の帰途、この地で舟遊びを楽しんだことでも知られている。
昭和50年代、紀の川の水防対策工事のため発掘調査が行われた際、南岸の斜面で弥生時代の竪穴住居遺跡などが検出されたが、この遺跡は護岸工事により現存しない。
昭和63年春、船岡山の南側に長さ80メートルの吊り橋が架けられました。
この橋を渡って、弁財天を祭る厳島神社を参詣したあと、島内一周の遊歩道を散策しながら、さわやかな川風と森林浴を楽しめる。船岡山に万葉歌碑が建てられています。
また映画「紀ノ川」のロケ地としても有名です。
”背の山に 直に向へる 妹の山 事許せやも 打橋渡す”
【万葉歌碑】(()内は歌意)
数多く詠まれた万葉の歌。その中でもここ妹山・背山を歌枕として詠んだ句は15首にものぼります。
寄り添うようにやさしい山姿に、都に残してきた愛しい人への想いがふくらんだのせしょうか。
ここにご紹介する歌や解釈は和歌山県が発行した「紀伊万葉ガイドブック」監修 村瀬憲夫(近畿大学文芸学部教授)を引用させていただいております。
1. これやこの 大和にしては 我が恋ふる 紀路にありといふ 名に負ふ背の山 ( 巻1-35 阿閉皇女)
(紀州路にあるとしてかねて大和で私が心ひかれていた背の山。これこそまさしくその名にそむかぬ背の山よ。)
【句碑は背ノ山にあります。】
2. 真木の葉の しなふ勢能山 しのはずて 我が越え行けば 木の葉知りけむ (巻3-291小田事)
(真木の葉がよく茂りたわむ背の山を、私はゆっくり賛美することもできずに越えてゆくが、木の葉は私のこの気持ちを分かってくれたであろう。)
3. 妹に恋ひ 我が越え行けば 背の山の 妹に恋ひずて あるがともしさ ( 巻7-1208)
(妻への恋心に苦しみつつ山路を越えて行くと、背の山が妹の山と一緒にいて恋い苦しんでいないのが羨ましいことよ。)
【句碑は道の駅「紀ノ川万葉の里」にあります。】
4. たくひれの かけまく欲しき 妹の名を この勢能山に かけばいかにあらむ(巻3-285 丹比真人笠麿)
(口に出して呼びたい「妹」の名を、この背という名の山にかけて口にしてはどうだろう(背の山に代えて妹山といったらどうだろう)
5. 宜しなへ 我が背の君が 負ひ来にし この背の山を 妹とは呼ばじ (巻3-286 春日蔵首老)
(結構なことにもわが背の君同様「背」という名を持つこの山を今さら妹山とは呼びますまい。)
6. 勢能山に 黄葉常敷く 神岡の 山の黄葉は 今日か散るらむ (巻9-1676)
(旅路の背の山に紅葉が絶えず散り続けている。大和の神岡の山の紅葉は今日散っているだろうか。)
7. 紀伊路にこそ 妹山ありといへ 玉くしげ 二上山も 我こそありけれ (巻7-1098)
(紀の国に妹山があるというが、二上山だって妹山があったことだ。)
8. 妹があたり 今そ我が行く 目のみだに 我に見えこそ 言問はずとも (巻7-1211)
(妹山を通り、妹のあたりを今こそ私は通っているのだ。せめて幻の中にだけでもわが妹(妻)は見えてほしい。ことばはなくとも。)
9. 後れ居て 恋ひつつあらずは 紀伊の国の 妹背の山に あらましものを (巻4-544 笠朝臣金村)
(後に残って恋い苦しんでいないで、あなたの歩いていく紀の国の妹背の山でありたいものを。)
10.背の山に 直に向へる 妹の山 事許せやも 打橋渡す (巻7-1193)
(背の山に真向かいの妹の山は、背の山のいう事をきいたのか、妹の山には打橋を渡していることよ。)
11.麻衣 着ればなつかし 紀伊の国の 妹背の山に 麻蒔く我妹 (巻7-1195 藤原 卿)
(麻の衣を着ると懐かしく思い出される。紀の国の妹背の山に麻をまくいとしい子よ。)
12.人ならば 母が最愛子そ あさもよし 紀の川の辺の 妹と背の山 (巻7-1209)
(もし人間だったら母の最愛の子であろう。紀の川沿いの妹山と背の山よ。)
13.我妹子に 我が恋ひ行けば ともしくも 並び居るかも 妹と背の山 (巻7-1210)
(いとしい妻を恋いつつ旅を行くと、うらやましいことに並んでいるよ。妹の山と背の山は。)
14.大汝 少御神の 作らしし 妹背の山を 見らくしよしも ( 巻7-1247 柿本人麻呂歌集)
(大汝(大国主)と少御神(少彦名)に神々がお作りになった妹背の山は見るとりっぱなことよ。)
15.紀の国の 浜によるといふ・・(長歌・下図参照クリックで拡大)
いずれもその歌心にふさわしく、妹背山を望みながら遠い万葉のむかしをしのぶことができます。
悠然と流れる紀の川を眺望できる場所にある「道の駅」が、平成7年、古代の「萩原の駅跡」近くに設けられました。
施設内の軽食喫茶「まほろば」では、かつらぎ町の景勝地である、船岡山や妹背山を一望しながらしばし憩いのひとときを過ごし、「農産物直売所」で地元産の新鮮な野菜・果物など土産物が楽しめます。
また、「歴史街道 iセンター」は、来訪される方々のオアシスとして地域の歴史・文化を映像とパネルで紹介し、より楽しい旅の情報を提供しています。
最近、紀の川の河川敷に「紀の川万葉の里公園」が新設され、家族連れや友達グループの利用客が増えています。道の駅「紀の川万葉の里」・紀の川万葉の里公園ともども古代の万葉人を偲んで散策下さい。
お土産には、土地の名産「あんぽ柿」と「柿の葉寿司」をお忘れなく・・・
(つづく)つぎは「かくれ里」かつらぎ町天野の里。
しげやん^^こんばんは~^^
返信削除今日はいい夫婦の日ですね^^ブログのお仲間さんもいい夫婦の日が結婚記念日と言ってましたがこの日が記念日だときっと忘れないですね!
あんぽ柿を見るたびに祖母を思い出します^-^
大好物でした!^^
今日は雨になりましたね^^しかも寒いです^^
atitiさん
返信削除きょうは夕方からの雨、よく降りました。これから一雨毎に
段々寒くなってきます。ミカンの季節に入ります。
今日は上に書いたようにH.22.11.22ですから、目出度さも
一入です。かつらぎ町シリーズまだまだ続きます。
つぎは天野の里のおハナシです。有名な丹生都姫神社があり
、またこの前案内を見せた信楽焼の陶芸家・沖康史氏が登り
窯を築いて焼き物を焼いてます。一度訪ねたいのですが、atitiさんも一緒にいかが!