東電元福島第一原発所長吉田昌郎さんの、余りにも若すぎる死を悼む声は大きい!今朝も朝日新聞が「天声人語」でとりあげたが、かつて操縦不能に陥り山に衝突した日航機機長と対比して描かれていたが、日航機事故と比べて東電・福島原発事故は比べようもないくらい大きいと思う。
まさにSF作家小松左京氏が書く「日本沈没」いや「世界沈没」に繫がりかねない未曾有の大事故だったからである。
(天声人語)吉田昌郎さん(元・東電福島第一原発発電所長)亡くなる!
美談調や英雄視は、だれよりも本人が迷惑だろう。ただ、背負わされた責任とストレスはいかばかりだったかと思う。人間の創りだしたものが人間を呑(の)み込もうとする修羅場で陣頭指揮をとった。文字どおり「最後の砦(とりで)」だった▼おととい亡くなった福島第一原発の事故発生時の所長、吉田昌郎(まさお)さんに重なる故人がいる。28年前の夏に墜落した日航ジャンボ機の機長、高浜雅己さんである。背景も状況も異なるが、ともに制御不能となってのたうつ巨体と必死に格闘を続けた▼日航機は、垂直尾翼が壊れたという致命的な出来事を知り得ぬままだった。「これはだめかもわからんね」という機長の声をボイスレコーダーは拾っている。福島原発も内部の様子は分からない。「これで終わりか」と吉田さんは思った▼そういえばジャンボも、あの事故まで安全神話に包まれていた。まことしやかな神話が崩壊するたびに、文明の墓場のような光景が繰り広げられる。技術者として人間として、吉田さんにはもっと色々語ってほしかった▼本社命令に逆らって海水注入を続けなければ、結果はさらに悲惨だったかも知れない。「あの人だから団結できた」という現場の声も聞く。それでも福島の被害は、かくも甚大である▼折しも訃報(ふほう)の前日、電力4社は原発10基の再稼働を申請した。しかし緊急時の作業者の被曝(ひばく)限度などは、具体的な検討が進んでもいない。ご冥福を祈りつつ思う。「身を挺(てい)しても」の気概頼みで原発を操ってはならない。
※「日航ジャンボ機墜落事故」(1985.8.12)
事故を起こした飛行機の同型機 |
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あなたは1985年8月12日18時56分に、日本航空123便が群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故をご存知でしょうか?
あまりに有名なこの墜落事故の飛行機は、お盆の帰省ラッシュのため、乗客乗員あわせて524名と、多くの人が搭乗しており、「上を向いて歩こう」で有名な坂本九さんの他、多くの著名人もここで最後をむかえました。
死亡者数は乗員乗客524名のうち520名、生存者はたったの4名…。
当時この事件リアルタイムをで見ていた人に話を聞くと、多くの人が「あの事件はもっと多くの人が助かったはずだ」というのです。
この事件には謎が多く、陰謀説が多くの人に唱えられてます。
・高濱 雅巳(49歳)機長
※「福島第一原子力発電所事故(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょじこ)」(2011・3・11)
の東日本大地震による地震動と津波の影響により東京電力の福島第一原子力発電所で発生した炉心融解など一連の放射性物質の放出を伴った原子力事故。
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