新暦二月四日、きょうは「立春」ですが、陰暦では旧年の十二月二十四日にあたります。陰暦の十二月が終わらないうちに二十四節気の立春が来ることを「年内立春」といいます。いまでも春・夏・秋・冬の季節を分ける節分があり、立春と同じく立夏・立秋・立冬があるのですが、立春の前の節分と立春が特に意味があるのは、万物が芽生え生育する春に人はいまでも特別の意味を感じているからではないからでしょうか。
今年は、まさに「年内立春」にあたります。
そこで紀州徳川藩とはゆかりが深い勢州松坂出身の国学者として紀州徳川藩に出仕した本居宣長の歌集のなかから「春」を詠った和歌を抜粋して、それに相応しい画像を添えてお届けします。
まだ余寒厳しいなかですが、そこかしこに春の到来を告げる何かに出会える季節です。
二月一日から始まった「紀州海南ひなめぐり」もそれらのなかの一つと思います。ぜひ「ひな」を訪ねてそぞろ歩きを愉しみませんか! 黒江の街では「くろめ桶」をお見落としなく・・・!
鶯 (ウグイス)
立春
のどけさは袖にしられて
から衣 きのふにも似ぬ春のはつ風
本居宣長「鈴屋歌集」
声たてて春は来にけり
うぐひすもけさまだなかぬ谷の下水[したみづ]
本居宣長「石上稿八」
立春
のどけさは袖にしられて
から衣 きのふにも似ぬ春のはつ風
本居宣長「鈴屋歌集」
声たてて春は来にけり
うぐひすもけさまだなかぬ谷の下水[したみづ]
本居宣長「石上稿八」
春来ぬと月こそかすめ
冬もまた残る日数の有明の空
本居宣長「石上稿九」
※「年内立春」を詠んだ歌。
陰暦の12月が終わらないうちに二十四節気の立春が来るのが「年内立春」。
陰暦の日数は二十四節気の一年より11日短いので、暦の日付は二十四節気と
固定的には合わせられず、暦の新年と立春とは年を重ねるほどずれてゆく。
閏月を入れて調整を図ったが、「年内立春」は珍しくなく訪れた。
早梅
待つ春を雪ちる風に吹きまぜて
にほひほのめく梅の初花
本居宣長「石上稿八」
きえやらぬ雪に春まつ梢より
まづにほひくる庭の梅が香
本居宣長「石上稿十一」
早春梅
梅がえは花の下ひもとけそめて
雪の雫もにほふはる風
本居宣長「石上稿九」
曙梅
にほひくる梅のありかも見えそめて
春風しらむあけぼのの空
本居宣長「鈴屋歌集」
雪の夜明け |
庭梅
色も香もしらぬあるじをかひなしと
花や見るらむ 庭の梅がえ
本居宣長「鈴屋歌集」
※君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る
(紀友則『古今和歌集』38)を踏まえた詠であるか。
友則の歌は梅の枝に付けて贈られた。
「あなた以外の誰に見せましょう、この梅の花を。色も香りも
その美事さは分かる人だけが分かるのです(だから是非あなた
にお見せしたいのです)」と詠んで、贈られる相手の審美眼、
ひいては心の深さへの信頼を告げた歌。宣長はその意を引いて
庭の主すなわち自分を、心浅いものとして謙遜して詠んだもので
あろう。猶、友則の歌は『古今和歌集』の詞書からは確定でき
ないが、古注に紅梅と解釈するものが多い。
朝日紅梅の雪 |
夜梅
花のいろも鳥も霞もくれしよの
闇に春ある軒のうめがか(香)
本居宣長「鈴屋歌集」
花の色も鳥も霞もくれしよ(暮れし夜)の
闇に春ある庭の梅が香
本居宣長「石上稿十一」
春の夜のかすめる月に風絶えて
香さへおぼろの庭の梅が枝
本居宣長「石上稿十二」
故郷梅
ふるさとは夢のむかしの春風に
残るやうつつよは(夜半)の梅が香
本居宣長「鈴屋歌集」
梅花に月あるかた ※梅花に月をあしらった絵(に詠んだ歌)
花の色は月の光ににほふなり
月の光は香ににほふなり
本居宣長「鈴屋歌集」
※にほふ(匂ふ):古典的には視覚的な語。
ものが光を受けて色美しく照り映える意。
雪中梅
香をとめてをらんとすれど立ちならぶ
梢の雪もにほふ梅がえ
本居宣長「石上稿九」
春雪
はかなさをならはばいとどいかならむ
桜はよきよ(除きよ)春のあわ雪
本居宣長「石上稿九」
※あわゆき:あわ、うたかた(水泡)のようにはかなく消える雪。
淡いゆき「あはゆき」は『万葉集』にはなく平安から現れる表記。
あわゆき、あはゆきは本来は別意識の語であったと考えられるが、
宣長の江戸時代にはとうに発音上の別はなく、淡雪・沫雪は春の雪
をさしてものとしては区別なく使われていたと思われる。明治以降
の作品におけるこの二語の使い方からも、「あわゆき」という表記
の方が古風な印象があった可能性がある。
相思鳥(ソウシチョウ)
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