12・10・13「流れ流されどこから来たの?紀ノ川に大楠漂着」のブログを憶えて居られますか?あの大楠がやっと安住の地を見付け、大楠の生育していたと思われる1300年前の時代に遡って「紀伊風土記の丘」で展示保存されることになりました
-------------------------------
「流れ流され、どこから来たの?紀ノ川大楠漂着」より・・・
紀の川の河川敷はランニングや散歩をする人たちの憩いの場となっています。
六十谷橋や堤防の道路は交通量も多く、たくさんの人が利用しています。
そんな人たちを驚かせているのがこの巨大な「くすのき」です!
幹回りの大きさから樹齢1000年ほどと推測されています。
どれだけ大きいのか?撮影スタッフに木の横に立って人と比べてみました。
撮影スタッフの身長は1メートル70センチ、巨木の高さはなんとその4倍以上となる約7メートルです!
幹回りを河川事務所のみなさんに測っていただくと、およそ12メートルありました。和歌山市内で最大の和歌山城・一の橋のくすのきが、幹回り7メートル、樹齢400年~500年なので、今回見つかったくすのきは県内でも最大級です。
そこで今回、「WA!っとライブ」初めての試みとして高所作業車に乗って、巨木の上からカメラマンならではの視点で巨木のスケール感や臨場感をお伝えしました。
上からくすのきを見ると、どっしりとした木の幹とごつごつとした樹皮に力強さを感じました。こんなに大きい木が何年もの間、川の中に沈んでいたとは、なかなか信じられません・・・。
和歌山河川国道事務所の新川良治さんに巨木を引き上げた時の経緯をうかがいました。
70トンクレーンで引き上げようとしたらワイヤーが切れ、結局70トンと50トンの2基のクレーンを使ってようやく引き上げたと教えていただきました。
その過程で判明した巨木の重さは約40トン!
今後は博物館などに展示してもらうことも検討しているということでした。
お話では巨木がいつから紀の川に沈んでいたのか、どこから流れてきたのかわからないということでしたが、その謎も巨木の魅力の一つかもしれません・・・。
巨木は今も紀の川六十谷の河川敷にあります。一度ご覧になってはいかがでしょうか。
・「流れ流されどこから来たの?紀ノ川に大楠漂着」: http://o-shige3.blogspot.jp/2012/10/blog-post_13.html ☆ ☆ ☆ 紀の川の巨木 保存展示へ |
2013/02/16和歌山市の紀の川から去年引き上げられた巨木が、およそ1300年前の古墳時代から奈良時代に生育していたものとわかり、この巨木と同じ時期に築造された古墳が保存されている和歌山市の県立紀伊風土記の丘で展示されることになりました。和歌山市六十谷の紀の川で見つかったこの巨木は、幹の周囲が12メートル、直径が4メートルのクスノキで、去年8月に、河川を管理する国土交通省近畿地方整備局和歌山河川国道事務所が川から引き上げました。 県教育委員会によりますと、巨木の樹齢は350年と推定され、西暦700年前後まで生育していたものとわかりました。 その後1300年間、成長していないということで、川の底に埋まっていたのが何らかの理由で浮きあがってきたのか、別の場所で保管されていたのが流れてきたのか、この場所で見つかった理由については推測の域を出ません。 県教育委員会では、自然が育んだ歴史的なモニュメントとして巨木を保存することを決め、巨木が生育していた時期と同じ古墳時代に築造された岩橋千塚古墳群を保存している和歌山市岩橋の県立紀伊風土記の丘で展示する予定です。 長く展示するための防腐処置が必要で、そのための費用と巨木の移動に必要な費用、それに、展示スペースを作るための費用などあわせておよそ1240万円が、県の来年度の当初予算案に盛り込まれ、今月20日に開会する2月定例県議会に提案されます。 直接触り、地元和歌山の文化を学ぶ!和歌山県立紀伊風土記の丘は、特別史跡「岩橋千塚古墳群」の保存と活用を目的として、昭和46年(1971)に設立された考古・民俗系の博物館施設です。 総面積約65万㎡の園内全体がひとつの博物館であり、古墳や文化財民家、万葉植物園、復元竪穴住居、資料館など文化財に直接触りながら歴史を学ぶことができます。 また、四季折々の花も楽しめ、ハイキングコースとしても親しまれています。
|
0 件のコメント:
コメントを投稿