| |
<><>> | <><>> |
| <><>> |
<><><> >
<><>> | <><>> |
<><><> >
<><>> | <><>> |
<><>> | <><><><><>>この項目は「暦と天文の雑学」から引用させて頂きました。紙面をもってでおことわりします)
(http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0880.htm)
3月頃になるとなんだか身辺が慌ただしくなります。「年度末はこれだから嫌になるよ!」
と渋滞する道路でそんなことを呟いたことは誰にでもあることでしょう。
ここに出てきた、年度末という言葉の「年度」が今回取り上げる会計年度のことです。
日本の社会生活にはこれとは別に4月始まって翌年の3月まで続く1年の周期があります。
これが会計年度。単に「年度」と言っても通じるほど我々の生活に浸透しています。
さて、このように生活に深く浸透している会計年度、どのようにして生まれ、どうして4月からとなったのでしょうか?
会計年度とは?
そもそも会計年度とは何でしょうか?
「会計年度」を辞書で調べると、「予算を執行するための一定の期間。
日本の官公庁では4月1日に始まり3月31日に終わる。」 と言うようなことが書いてあります。予算の執行・・・ということは役所に限った話しではありませんけれど、4月から始まる一年間を会計年度としたのは、「お役所」からと言って間違いないでしょう。
官公庁の会計年度が4月1日から始まる1年間と言うことは、しっかり法律(財政法や地方自治法)によって定められています。ですから年度末にあたる3月頃になると、その年度の予算の帳尻を合わせにお役所は躍起となるのです。そして役所がらみの道路工事が3月頃になると増えるというわけです。
なお、この解説記事の中では「会計年度」という言葉は「日本の官公庁が使う4月から始まる1年の区切り」という意味で使っています。
現行法による会計年度の期間
- 財政法 (昭和22年3月31日。最終改正:平成14年12月13日)
第十一条 国の会計年度は、毎年四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終るものとする。
- 地方自治法 (昭和22年4月17日。最終改正:平成18年12月22日)
第二百八条 普通地方公共団体の会計年度は、毎年四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終わるものとする。
- 会計年度はいつからある?
暦年と異なる会計年度というシステムは昔からあったのでしょうか?
たとえば、江戸時代は・・・残念ながらというか、幸いというか江戸の昔にはこんな、 二種類の一年 なんてありませんでした。
将軍様の台所も、お大名方の台所も、長屋住まいの下々のものの台所もお金のやりくりは暦と同じく正月(一月)に始まり師走(十二月)に終わるというものでした。
現在のような4月に始まる政府機関の会計年度は明治19年(西暦1886)から始まったものです。ざっと120年ほどの歴史と言うことになりますか。
- なぜ会計年度が出来たのか
今は当たり前のこととして受け入れてしまっているこの会計年度ですが、どうして暦の一年と同じく1月に始まって12月に終わるものでは無いのでしょうか。わざわざ二種類の一年を作る必要がなぜあったのでしょうか。
- 税金徴収の都合
暦年異なる会計年度が必要な理由として挙げられるものに、税金徴収の時期があります。かつての日本は、主たる産業が農業(主力は稲作)でしたから、政府が税金として徴収するの主な財源も当然この農業に対して課税したもの(地租)でした。
稲作の場合、その収穫時期はもっぱら秋。税(地租)は物納ではなくお金で徴収しましたから、秋に収穫した米が現金化されてから徴収というのが一番無理のない姿。とすると、税金の徴収が一段落して、収入がハッキリした段階で、次の「一年」の予算を定めて実行に移すタイミングとしては、4月頃が都合がよいのです。
- 外国との関係
会計年度が暦年と一致しない国はいくつか有りますが、その中で当時の日本との関係から重要な国としてはイギリスとアメリカ。会計年度の初めはイギリスは4月、アメリカは10月。
日本は、当時世界一の経済力を誇ったイギリスの会計年度に倣って4月としたのだと言われています。
- そしてもう一つの理由
1,2の理由からなら最初から4月が会計年度の初めとなっていそうなものですが、明治のはじめの頃は、会計年度の開始時期は何度も変更されています。
年度期間 | 適用開始時期 | 備考 |
<><><> >
10月~ 9月 | 明治 2(1869)年 9月 | 中央政府 |
<><><> >
1月~12月 | 明治 5(1872)年11月 | 中央政府 |
7月~ 6月 | 明治 7(1874)年12月 | 中央政府 |
4月~ 3月 | 明治17(1884)年10月 | 中央政府
太政官達89号 |
〃 | 明治22(1889)年 4月 | 市町村
(以前は7-6月) |
<><><> >
〃 | 明治23(1890)年 5月 | 道府県
(のちに都も) |
なぜそんなことをしているのかと言えば、多分 「政府に金がいから、暦通りの会計年度ではやりくりがつかなかった」 のだと考えられます。
- 「金が出来るまで支払い(決算)を待ってね」というわけです。この辺の事情は、給料を払うお金がないから暦を替えてしまったという明治改暦のウラ事情と相似通った事情があったのでしょう。
まあ、「無いものはない」と言いたいところでしょうが、そうはいっても体面というものが有りますので、いきなり本音は言えない。ということで、1,2のようなまともそうな理由をつけて実行したのでしょう。
日本の「会計年度」の始めが4月になった理由の一つは、 「イでは本家のイギリスはなぜ4月なのでしょうか。
実は、イギリスの会計年度が4月からとなった理由にはイギリスのグレゴリウス暦への改暦が関係しているのです。 イギリスがグレゴリウス暦を採用したのは1752年のこと。(※グレゴリウス歴についてはこのブログの2.29閏年の項で解説)
主な国での導入状況は、イギリス(英国国教会)・・・1752年(なお、この際に年初を3月25日から1月1日に変更) ここでさりげなく書かれた、「年初を3月25日から1月1日に変更」が会計年度誕生に関わるのでした。
この記述からすると、1751年までは年初は3月25日だったと言うことになります。3月25日なんて半端な日付が「年の初め」とは何とも奇異に感じるかもしれませんが、この日付は古い時代の春分の日。つまりは、春分をもって一年の始まりと考える「春分年初」の考えかたの伝統が残っていたものなのです。
さて1752年になって、イギリスでは諸外国とのやりとりの便を考えて古くからのしがらみ(?)を捨ててグレゴリウス暦へと移行しました。ついでに年初も至極まっとうに思える1月1日に変更されました。
まあ、これはこれで良かったのですが、そう簡単にいかない問題があります。これがお金の問題。
大体どこの国でもそうだと思いますが、 「その年の支払いはその年のうちに!」
が原則。暦を変えるのはいいですが年の初の日付の変更はすなわち、「年の終わりの日付の変更」と同じことですから、「その年の支払いは・・・」の期限が急に変更になってしまうわけです。それも3ヶ月も一辺に。こんなことを気軽にしてもらっちゃ大迷惑。何とかしてくれと言うことになります。
当時のイギリスでは中世以来の伝統として、「年の払いは、年明け後1週間まで猶予する」という洒落た習慣が残っていました。とすると、昔ながらの3月25日を年初とすると、3月31日はまだその猶予期間中。
それならば、税金も含めた1年のお金のやりとりは3月31日を〆切として精算するという方式に変えれば、今までの商習慣を少しも変えることなくなおかつ、多少は区切り良い。
「4月1日から翌年3月31日までを、経済活動の1年とする」
と出来ると考えたのです。そして生まれたのがイギリスの会計年度です。
- かくして、お役所の1年は4月に始まる
イギリスで18世紀半に行われたグレゴリウス暦への改暦の結果生まれた4月からの会計年度は、19世紀後半のお金に困っていた日本の明治政府へ伝わりこれが採用され、それから120年。今でも日本のお役所はこの会計年度という4月から始まる1年のサイクルで活動しています。
◇ ◇
余 談
- よその国では?
- 暦年と会計年度が一致している国、一致していない国さまざま(一致している国の方がおおいか主立った国を調べてみると・・・
国々の会計年度例 (2007/3/30)
<><>>年度期間 | <><>>主な国 |
<><>>暦 年 | 中国・韓国・フランス・ドイツ・オランダ・ベルギー・ロシア他多数 |
<><><> >
4~ 3月 | 日本・イギリス・カナダ・デンマーク・インド・パキスタン他 |
<><>>7~ 6月 | オーストラリア・ノルウェー・スウェーデン・ギリシャ他 |
10~ 9月 | アメリカ・タイ・ミャンマー・ハイチ・など |
----------------------------------------------------------------------------------------
「大学の9月入学について」 ここにきて、最近大学の9月入学が東京大学学長はじめ旧帝大系の大学や慶応・早稲田大学などで議論が巻き起こってきている。グローバルスタンダードに合わせるためだという。 調べてみると西欧の大学の80%は確かに9月入学だが、留学生を受け入れるには好都合かも知れないが、日本のいまの国公立小中高校は4月入学制度である。 会社側の新入社員受け入れは、一部の通年採用、随時採用を除けば、圧倒的に4月入社である。 この問題は独り大学側の論理ではなく、政界(文部科学省・経済産業省・厚生労働省等)・地方自治体・産業界・当事者を巻き込んだ国民的議論になって然るべきだと思われる。 9月入学が採用されるとなれば、日本の国の社会構造にも大きな変革を求められるからだ。 「原発」同様、国民的見地で大いに議論の対象として採り上げて欲しいと思う。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿