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2019年8月12日月曜日

前畑秀子に脚光! 日本女性初五輪[金メダリスト]

前畑秀子に脚光! 日本女性初五輪[金メダリスト]



 8月11日は「ガンバレの日」――。1936年のこの日、ベルリン五輪の女子200㍍平泳ぎで、和歌山県橋本市出身の前畑秀子(1914~95)が日本人女性初の金メダルを獲得。
アナウンサーが「前畑がんばれ!前畑がんばれ!」と連呼した実況中継が日本中を沸かせたことにちなんでいる。前畑はNHK大河ドラマで現在放送中の「いだてん」にも登場。前畑の功績を伝える「前畑秀子・古川勝資料展示館」(同市橋本)を訪れる人も増え、市内では「前畑の偉業発信を」との機運が高まっている。

 同施設では写真や新聞記事などの資料約60点を展示。同市名誉市民で水泳界の発展に尽くした前畑の生涯をたどることができる。

 昨年1年間の来館者数は240人だったが、ことしは4月から8月上旬までで、すでに320人が来館し関心が高まっている。

 春には、大河ドラマで前畑役を演じる上白石萌歌(かみしらいし・もか)さんも役づくりの参考にと、展示館を訪ね、ゆかりの地を巡ったという。

 前畑は家の近くの紀の川をプール代わりに泳ぎを覚えたといい、同施設の池西孝仁さん(64)は、「紀の川なくして前畑なし」と、熱っぽく語る。

 同館では、橋本市ゆかりの水泳選手・小島一枝や守岡初子と前畑の交流、ベルリン大会優勝の際の逸話、結婚後の家庭生活、現役引退後も水泳教室を開き水泳界の発展に尽力する姿など、前畑自身も色紙に残した「水一筋」の生涯を伝えている。

 ベルリン五輪優勝前後の思いを綴った日記も紹介し、金メダルを獲得したレースで、アナウンサーが何度も「前畑がんばれ」を繰り返したラジオ放送の音声も聞ける。

 池西さんは「生涯を通じて水泳に関わり、選手としてスポーツの価値を伝えた人。やり始めたら努力を惜しまず、とことんやり抜く前畑さんからは、自分なりの人生の金メダルを目指すことの大切さを教わります。郷土の偉人を知り、ふるさとを愛する気持ちを深めてもらえれば」と来館を呼び掛けている。

 入場無料。開館は来年3月末まで(年末年始を除く)で、午前9時から午後5時まで。問い合わせは同所(℡0736・26・8288)


前畑秀子の功績を伝える資料が並ぶ





前畑秀子資料展示館
上に掲げた記事と重複する部分が多いが、それをわきまえた上で掲載することにした
和歌山県出身のわたしも、この展示館があることを知らなかったのだから・・・・
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前畑秀子資料展示館は、和歌山県橋本市にある。
前畑秀子(1914-1995)は、日本人女性初のオリンピック金メダリストで、昭和11年(1936年)ベルリンオリンピックの200m平泳ぎで優勝した。
NHKラジオ実況中継で、「前畑がんばれ!」と23回連呼した河西三ナウンサーの実況音声が良く知られている。
前畑秀子は、大正3年(1914年)に橋本市紀ノ川近くの豆腐屋を営む父、前畑福太郎と母、前畑ミツヱの長女として生まれた。
当時は、橋本橋の上流付近の紀ノ川で水泳の練習をしていた。
大正15年(1926年)には、12歳で50m自由形の日本学童新記録を出し、13歳で100m平泳ぎの日本新記録を樹立するなど早くから注目されていた。
昭和4年(1929年)に愛知県の椙山女学園に編入し、昭和7年(1932年)には、ロサンゼルスオリンピック200m平泳ぎで銀メダルを獲得した。
現役引退後も、積極的に水泳に関わり、後進の指導に努め、53歳の時に日本初の「ママさん水泳教室」を開校した。
前畑秀子資料展示館は、橋本市まちの歴史資料保存会付属の橋本まちかど博物館の展示として一般公開されている。
資料館では、日本ポリドールの湯地富雄が録音した「前畑がんばれ」の実況音声を聴くことが出来る。
また、オリンピック優勝の瞬間の写真(白黒写真からカラー写真に補正)なども展示されている。
令和元年(2019)に名称が、橋本市「前畑秀子・古川勝資料展示館」となった。
南海電鉄高野線橋本駅下車、徒歩10分。



















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