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2012年6月13日水曜日

梅雨の晴れ間に近場散策(今昔)

 わたしの自宅から250m位の処に、かつて和歌山電気軌道線が走行していた線路跡(「琴ノ浦」~「紀三井寺」駅)が「紀三井寺緑道」として遊歩道になり、「琴ノ浦出入口」としてウオーキング・散策・登下校・イヌの散歩・自転車通行等に大いに利用されている。
 通称「市電」と称された和歌山電気軌道の前身の会社が1909(明治42)年の和歌山県庁前~和歌浦口開業、その後延伸を続け1911(明治44)年11月には紀三井寺~琴ノ浦が開通、翌1912(明治45)年には黒江まで延伸した。丁度100年前のことである。この電気軌道は1971(昭和46)年全線廃線となってしまった。
 この廃線あとの「紀三井寺~琴ノ浦」約3kmが「紀三井寺緑道」になり、途中に紀三井寺競技場公園が設置され市民の憩いの場所となり、緑道は四季それぞれの花が楽しめる心を和ましてくれる遊歩道となっていまに活かされている。この「琴ノ浦」~「浜の宮」には新旧トンネルが4本通っていて一番東側の電気軌道のトンネルがこれから紹介しようとしている100年の歴史を数えるトンネルなのである
 旧和歌山水力電気(和歌山電気軌道、のちの南海電気鉄道の軌道路線)が掘削した鉄道用隧道。1971年(昭和46年)廃止。現在は「紀三井寺緑道(遊歩道)」として利用されている。
坑門は煉瓦でイギリス積み。笠石、帯石に切石を使用。要石も存在し、迫石は三重県で多く見られる楯状迫石となっている。
坑門の扁額、北側には「鵬雲洞 明治44年11月 書」南側には「而開圖○」とある。
内部は複線が敷ける広さを有し、アーチは吹き付けで覆われており、元の状態は確認できない。また退避坑の跡も確認できる。

北側「・浜の宮「鵬雲洞」

南側・琴ノ浦「「而開圖○」




「紀三井寺緑道」南側出入口(琴ノ浦)

 このトンネルから西へ200mほど歩むと「濱宮神社」という小規模ながら古い佇まいを漂わす古刹に行き着く。この神社の由緒によれば崇神天皇の御代、天照大神の御霊が伊勢の鎮座されるまでのしばしのあいだ、この地に鎮座あそばしたという元伊勢の謂われがあるそうだ。
この地は古くから半農半漁の集落で、この神社から200m西は海浜である。昔は和歌浦湾に面する遠浅の漁場で冬は海苔のヒビ竹が建ち防風林の松林が立ち並ぶ風光明媚な地で、人工開発の波が押し寄せるまでは、春は潮干狩り夏は海水浴で賑わった美しい海岸線を誇ったが、平成の時代になり、この濱の西南に和歌山マリーナシティーという人工島が埋め立て造成され、ここ浜の宮の海岸も近代的な人工浜に生まれ変わり、ウインドサーフィンのメッカや海水浴場に生まれ変わってしまった。昔の姿はここに祀られた神のみぞ知るばかりに変貌を遂げた。ここの磯を南東に回り込めば「琴ノ浦」に出る。いにしえはここの浦の打ち寄せるなみの音が琴の音に聞こえたことから名付けられたそうだが、ここも大正末期から昭和初期の埋め立てにより、昔の姿いまいずこと言った感がする





神社の西100mの処に昔から鳥居が建っている。漁民の信仰の対象であったのだろう
鳥居の奥に見える橋はマリーナシティーへのサンブリッジ 

現在の浜の宮ビーチ

人工島「和歌山マリーナシティー・約50㌶」
  平成10年竣工・ポルトヨーロッパ・黒潮市場・ヨットハーバー・ホテル・マンション・娯楽施設等々


濱宮神社の分社として「御前神社」がマリーナシティーに祀られていることを皆さんご存じでしたか?  近場の今昔のお話でした。

2 件のコメント:

  1. 浜の宮さんへは過日お参りに参り申したが、
    そのトンネルは長いこと通っておりませぬ><
    どうも昔から不気味に感じて通れませぬのじゃよ...

    そうそうしげやん殿!
    そろそろ大事な資料をお返し致さねばなりませぬが、
    なかなか休みがとれず申し訳ござりませぬ><

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  2. モノノフどの
    カキコを見落としてしまいREコメント遅くなり
    失礼仕り申した。
    市電が廃線になったのはモノノフ殿がまだ小学生
    のころで、バス輸送に切り替わりまいたから市電には
    ハッキリした印象をおもちじゃないと覚えまする。

    地元関係の昔の資料は当方別に急ぎませぬ故
    お時間がとれる時で構いませぬから、心急ぐ
    こと無くお過ごし召されよ!

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