古式捕鯨については、和歌山県太地町が世界的に有名だが、そこから約60km東へ熊野灘を回りこんだ三重県尾鷲市では成人の日にあたる今日伝統の「ハラソ祭り」勇壮に催された。
江戸時代、熊野灘で盛んだった古式捕鯨の様子を再現し、クジラ供養と海の安全を祈る伝統の「ハラソ祭り」が13日、三重県尾鷲市梶賀町の梶賀漁港沖で行われた。
船尾に大漁旗を飾った捕鯨の和船「ハラソ船」上で、おしろいと頬紅で化粧した赤じゅばん姿の男性27人がろをこぎながら、「ハラソー、ハラソー」の勇ましい掛け声を響かせた。そして「羽刺(はざし)」役と呼ばれる男衆が時折、船首に躍り出て、モリを海中に打ち込む仕草を行った。見物客からも「ハラ、ヨーイヨーイ」の声が飛び、祭りを盛り上げた。
勇壮にクジラ捕りが再現された「ハラソ」祭り=三重県尾鷲市の梶賀漁港沖で1月13日
「ハラソ祭り」について2011年に地元の方が詳しく紹介されているので、その記事をお借りして転載をさせていただいた。
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梶賀のハラソ祭り 2011
梶賀のハラソ祭りが行なわれました。
尾鷲市の賀田湾の南に位置する小さな入江の奥にある梶賀浦(現在は梶賀町)は、捕鯨の歴史を残している。毎年1月(成人の日)に行なわれる『ハラソ祭り』は、捕鯨の歴史をたどると鯨漁が盛んであった江戸時代の古式捕鯨を再現する祭りす。当日は、地蔵寺で『鯨供養』と豊漁を祈願したあと、大漁旗や吹流しを掲げた華やかなハラソ船で曽根町にある飛鳥神社へ詣で、その後神宮さん辺りで・・・、そして梶賀湾に戻り湾内を巡行し、「ハラソ」の掛け声とともに力いっぱいに船を漕ぐ古式の漕法やがら、突き役(ハダシ)が舳先に飛び乗り銛を打ち込む当時の捕鯨の様子が披露される。「ハラソ」は「羽刺」(はざし=鯨に銛を打つ役目の人)が転化した、あるいは中国から漂着した「秦氏」に由来するともいわれる言葉です。
一昨年からイベント要素を取り入れ余興として、市内のグループによるソーラン踊りや輪内中学校名物のエイサーなどが見物者を楽しませています。
もてなしとして、浜の味噌汁やぜんざいが・・・、そして【魚ご飯(味ご飯)】や【「さんまの姿寿司(背割り)】が弁当として販売されていました。小生、大好きな【魚ご飯】を買いそびれ、【さんまの姿寿司】を昼食として食べました。
余興会場はこんな雰囲気です・・・
少し離れていますが、周りにはたくさんの見物者がいます。
◯中◯子議員が地元の方々と交わり祭りを楽しんでいました・・・
行事前の浜の光景です・・・、漁師町では、よく見かける情報交換の場です
この時期は、「さんまの丸干し」が天日に・・・
梶賀町は日照時間が短く、谷からの風が冷たいことから油の抜けたこの時期の「さんまの丸干し」は人気があり、見物に来た方々が30~50匹単位で購入されていました。もちろん、サバのあぶりやスルメの一夜干しも人気があったようで、口々に地場産品談義が行なわれていました。
三木浦から嫁いでいる知人もいるので、さんまの丸干しをと・・・、かなり数の天日干しをしていたが総て注文だそうであった。
そして、いよいよハラソ船が湾内に・・・、陸では女たちがその所作に合わせて船をこぐことから、地元中学生の出番です。
湾内では、
鯨に銛を刺す所作をとりながら湾内を3度旋回します。
今回は、デジイチで動画も撮ってみました・・・
今回は、何と大型バスで撮影ツアーとして、かなり大きな望遠レンズをつけたカメラマンが「ふるさとの原風景」をと大挙してやってきていました。
大型バスは曽根町に駐車し、小型バスで移動していたようです。
市長が魚やヒノキなど、ふるさとの資源を生かしてといわれますが、尾鷲節などの郷土芸能や各地区の祭りなども文化としての資源であり、より古式ゆかしい所作こそが、本当の意味で都会に負けない「ふるさとの原風景」として集客要素を多く持ち合わせているようにも思います。
最後に船上からの餅まきが行なわれ、今年のハラソ祭りが終わった。
3年位前に比べれば、すごい活気があると感じた。
カメラマンの数もそうだったが、新聞やインターネットでの紹介もあり見物人も多く、一年で最も梶賀浦に人が集まる日でもあった。
ちなみに、この辺り↓にいる方々もツアーできたカメラマニアのみなさんの何人かです・・・
尾鷲市の賀田湾の南に位置する小さな入江の奥にある梶賀浦(現在は梶賀町)は、捕鯨の歴史を残している。毎年1月(成人の日)に行なわれる『ハラソ祭り』は、捕鯨の歴史をたどると鯨漁が盛んであった江戸時代の古式捕鯨を再現する祭りす。当日は、地蔵寺で『鯨供養』と豊漁を祈願したあと、大漁旗や吹流しを掲げた華やかなハラソ船で曽根町にある飛鳥神社へ詣で、その後神宮さん辺りで・・・、そして梶賀湾に戻り湾内を巡行し、「ハラソ」の掛け声とともに力いっぱいに船を漕ぐ古式の漕法やがら、突き役(ハダシ)が舳先に飛び乗り銛を打ち込む当時の捕鯨の様子が披露される。「ハラソ」は「羽刺」(はざし=鯨に銛を打つ役目の人)が転化した、あるいは中国から漂着した「秦氏」に由来するともいわれる言葉です。
一昨年からイベント要素を取り入れ余興として、市内のグループによるソーラン踊りや輪内中学校名物のエイサーなどが見物者を楽しませています。
もてなしとして、浜の味噌汁やぜんざいが・・・、そして【魚ご飯(味ご飯)】や【「さんまの姿寿司(背割り)】が弁当として販売されていました。小生、大好きな【魚ご飯】を買いそびれ、【さんまの姿寿司】を昼食として食べました。
余興会場はこんな雰囲気です・・・
少し離れていますが、周りにはたくさんの見物者がいます。
◯中◯子議員が地元の方々と交わり祭りを楽しんでいました・・・
行事前の浜の光景です・・・、漁師町では、よく見かける情報交換の場です
この時期は、「さんまの丸干し」が天日に・・・
梶賀町は日照時間が短く、谷からの風が冷たいことから油の抜けたこの時期の「さんまの丸干し」は人気があり、見物に来た方々が30~50匹単位で購入されていました。もちろん、サバのあぶりやスルメの一夜干しも人気があったようで、口々に地場産品談義が行なわれていました。
三木浦から嫁いでいる知人もいるので、さんまの丸干しをと・・・、かなり数の天日干しをしていたが総て注文だそうであった。
そして、いよいよハラソ船が湾内に・・・、陸では女たちがその所作に合わせて船をこぐことから、地元中学生の出番です。
湾内では、
鯨に銛を刺す所作をとりながら湾内を3度旋回します。
今回は、デジイチで動画も撮ってみました・・・
今回は、何と大型バスで撮影ツアーとして、かなり大きな望遠レンズをつけたカメラマンが「ふるさとの原風景」をと大挙してやってきていました。
大型バスは曽根町に駐車し、小型バスで移動していたようです。
市長が魚やヒノキなど、ふるさとの資源を生かしてといわれますが、尾鷲節などの郷土芸能や各地区の祭りなども文化としての資源であり、より古式ゆかしい所作こそが、本当の意味で都会に負けない「ふるさとの原風景」として集客要素を多く持ち合わせているようにも思います。
最後に船上からの餅まきが行なわれ、今年のハラソ祭りが終わった。
3年位前に比べれば、すごい活気があると感じた。
カメラマンの数もそうだったが、新聞やインターネットでの紹介もあり見物人も多く、一年で最も梶賀浦に人が集まる日でもあった。
ちなみに、この辺り↓にいる方々もツアーできたカメラマニアのみなさんの何人かです・・・
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