華やかに咲き、潔く散る イチローや上原らが見せてくれた“引き際の美学” /
日本のファンを前にした凱旋試合で期待されたヒットを放つことはできなかったが、最後の最後までグラウンドに立ち続けた姿は、実に格好良かった。
さらに6月20日、控え投手だった高校時代から「雑草魂」で這い上がり、2度の沢村賞に史上初の日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した上原浩治も引退を表明。「もうちょっとやりたかった」と涙を流しながら自らの心境を吐露する姿は、多くのファンの心を打った。同時に「気持ちと体と、なかなか一致しなかった」「悔しいですけど、自分が決めたこと」との決断は実に潔く、“引き際の美学”がそこにはあった。
彼らだけではない。「我が巨人軍は永久に不滅です」の長嶋茂雄の引退スピーチはあまりにも有名だが、それ以外にも多くの選手がそれぞれの「美学」を見せてきた。
その一人が、高校時代から怪物と騒がれた江川卓だろう。プロでの実働9年で計135勝。最終年となった1987年にも2ケタ13勝を挙げたが、シーズン終盤に広島・小早川毅彦にサヨナラ本塁打を浴び、「あのとき野球人生が終わった」と江川。その日、長年悩まされ続けた右肩の痛みを感じず、自ら完ぺきだと思って投じた自慢のストレートをスタンドまで運ばれたことで引退を決意。「来年は2ケタ勝てない」「ひとケタ勝利で終わるようではプロ野球を続けちゃダメだ」と、球団の慰留を押し切って32歳でユニフォームを脱いだ。
江川と同じく、余力を残して引退した選手として思い出されるのが、新庄剛志だ。
阪神時代の1995年オフにも「野球に対するセンスがないって見切った」と突然の現役引退宣言(のちに撤回)をした過去を持つ“お騒がせ男”だが、日本ハムの一員となって3年目の2006年の4月に放ったシーズン初本塁打を、「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニフォームを脱ぎます打法」と自ら命名し、ヒーローインタビューで当シーズン限りでの引退を宣言。その後、連日の「新庄劇場」でチーム、ファンを盛り上げて見事にリーグ優勝を果たすと、最後は日本ハム入団会見時で掲げた「札幌ドーム満員」&「チームの日本一」の2つの目標を達成し、34歳で颯爽と現役を退いた。
新庄とは違った格好良さがあったのが、黒田博樹である。メジャーからの巨額オファーを断って“男気”で古巣・広島に復帰。その最初の会見で「2ケタ勝てなければ辞める」と宣言した男は、2年目の2016年に球団25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、その歓喜を置き土産に現役を引退した。復帰2年連続での2ケタ勝利をマークした中での決断に「全く悔いはない」とキッパリ。直後の日本シリーズでは惜しくも敗れたが、しっかりと自らの野球人生に納得した形で幕を引いた。
野球界のみならず、千代の富士や中田英寿など、スーパースターの引き際には“美学”があった。もちろん「ボロボロになるまで」現役を貫く姿も格好良いものがあるが、「惜しまれつつ」の中にある美しさはいつの時代も色褪せない。華やかに咲き、潔く散る。「桜」を愛する日本人の多くが、その美学を知っている。
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