
5.海南消防署前
この歌の作者、藤原卿は不比等の第4子・麻呂と思われ、さきに紹介した和歌浦玉津島神社奥の奠供山山頂にある歌碑の作者と同一人物です。和歌浦湾を南に黒牛潟まで足を運んだものと思われます。




6.労金海南支店東歩道




7.JR海南駅南高架下




8.藤白神社
( 藤白の坂を越えているうちに、私の着物の袖は山の雫にすっかり濡れてしまったよ。)
紀の国から大和への帰路での歌です。一行は坂の草露にも汗にも濡れたのでしょう。
この峠は658年謀反の罪に問われた有馬皇子が絞殺された所でもありました。
『 40年前のその悲しい事件を「わが衣手」が「雫」に「濡れる」ことを背後に意識しながら作者は山を越えているのであろう』 (伊藤博)、『表面は単なる旅情の形にし、皇子を悲しむ心をその旅情の溶かし込んでいる』(窪田空穂)の一首です。



9.有馬皇子の墓と歌
有馬皇子(640~658)孝徳天皇の皇子。歌人。皇位継承資格者として中大兄皇子(なかのおうえのおうじ・後の天智天皇)に妬まれ、狂気を装ったが、蘇我赤兄のざん言により謀反の疑いをかけられ紀州牟婁温湯(今の白浜温泉)に行幸中の斎明天皇のもとに送られ詮議をうけ帰路藤白坂(海南市藤白)で処刑された。
歳わずか18歳。牟婁温湯への往還の途中で詠める歌。(歌意・我が家にいれば器に食べ物を盛るのに,今は旅に出ているので椎の葉に盛っている)
この歌は単に器を使って食べていないから詠んだ歌とは思われない。生か死かの不安な気持ちの中で、椎の葉に飯をのせて神に供えるているのであろうか?



つづく・・・
残暑も厳しいですね。
返信削除和歌浦には日本初の鉄骨製エレベーターあったりとハイカラだったんですね。
地名って市町村合併の際につけるのがむずかしいんでしょうけど、海南市ってなんだかもったいない名前の気がします。
黒江市では、ほかのところがいやなんでしょうけどね。
こういう和歌にちなんだ名前だったらと思うのは、よそ者だからかな。
和歌山のにぎりずしはネタがおいしいでしょうね。
江戸前のにぎりは、しゃりがおいしいです♪
megさん
返信削除海南市が誕生したのは1934年ですが、江戸時代は海部郡と
呼ばれていました。それが1896年名草郡と合併して海草郡
となりました。この地区に1922年県立旧制海南中学校が
創立されました。恐らく市名を決めるに当たってこの海南
が採用されたのではないかと憶測します。海南の名前は
和歌浦湾の南に位置する入江からだったと思われます。
それからmegさんのブログにコメントした和歌山マリーナ
シティーの黒潮市場、ここにマグロの解体ショーを専門に
やっているお店があり、解体したマグロはその場で刺身、
ニギリ、短冊にされ、即売されます。
大トロ、中トロ、赤身、カマ等々です。まさに活です。
その他のネタも近海で採れたての活けです。
シャリからすればネタは大きくシャリを一巻きする位あり
ますから食べ応えがあります。
南紀勝浦はマグロの遠洋漁業基地ですからいろんな種類の
マグロが手に入ります。タイも紀淡海峡でとれ、美味しい
です。まあ新鮮な魚に恵まれていると云えます。