(淡嶋神社ひな流し)
・ひな流し:幸せ祈り、小舟に乗せて沖へ…和歌山・淡嶋神社
淡嶋神社の「ひな流し」神事で、小舟に乗せられ海へと送り出されるひな人形=和歌山市で2015年3月3日午後
人形供養の神社として知られる和歌山市の淡嶋神社では、全国から奉納されたひな人形を小舟に乗せて海に流す、「ひな流し」の行事が行われました。
和歌山市加太にある淡嶋神社は、江戸時代から続く人形供養で知られていて、本殿にはこの1年に全国から集まったおよそ45000体のうち6000体の色とりどりのひな人形が並べられています。
まず本殿で神事が行われたあと、巫女たちが並べられた人形のうち、およそ400体を桃の花や菜の花で飾られた三そうの小舟に乗せていきました。
この小舟に触った女性は幸運に恵まれるという言い伝えもあり、参拝した女性たちによって近くの海岸まで運ばれたあと、地元の人たちが乗る船に引かれて静かに海に流されました。
集まった人たちは写真を撮ったり手を振ったりしながら、小舟を見守っていました。
和歌山市から訪れた20代の女性は、「久しぶりにひな人形を見て、懐かしい気持ちになりました。たくさんの人形が並んだ様子は珍しくて見入っていました」と話していました。
・奈良 東大寺「修二会」
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始された。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。
修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた。
東大寺のながい歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである。
この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。
行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。
また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになった。
12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備える。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂において修二会の本行が勤められる。
12月16日 | 翌年修二会参籠の練行衆交名発表 |
2月12日 | 新入習礼(該当者がいる時のみ) |
2月15日 | 新入・新大導師別火入り(該当者がいる時のみ) |
2月18日 | 二月堂にて修二会で使用する灯明油の「油はかり」 |
2月20日 | 戒壇院別火坊にて試別火(ころべっか)はじまる |
2月26日 | 戒壇院別火坊にて惣別火(そうべっか)はじまる(閏年は27日) |
3月1日~3月14日 | 二月堂にて修二会本行 |
3月15日 | 満行 |
・弥生(やよい)三月三日「ひなまつり」=「ヒナ流し」 紀州加太(淡島神社)
・奈良・東大寺「修二会」このクライマックスが「お水取り」と呼ばれる12~13日の松明行事
で、いずれも関西に春を告げるイベントとして、昔から待ち焦がれる行事です。
「ひな祭り」ははやくも幕を閉じましたが、紀州海南ひなめぐりの開催日程が今年から2/15~3/15nい変更されたので、まだ雛飾りが愉しめます。
まだ、紹介していないJR海南駅と駅前商店街、漆器の町「黒江」のひな飾りを紹介したいと思います。